谷戸城
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 城郭の概要
所在地:北杜市大泉村谷戸
別 名 : −
築 城 : −
初城主:逸見黒源太清光
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,横堀
城 域 : −
国指定史跡

 現地への案内
交通機関は車を利用
中央自動車道、長坂インターから北西約1km
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 空地に約10台駐車可
【訪 城】2003年8月,2005年8月
【撮 影】2005年8月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ☆☆
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


谷戸城主曲輪の土塁と石碑

 現地の状況
 谷戸城は吾妻鏡にみえる「逸見山」に比定されており、甲斐源氏の祖とされる逸見清光の居城と考えられている。地元ではこの山を城山と呼んでいる。
 山の比高30mほど、お椀をふせたような山形のなだらかな小山に谷戸城は築かれ、東に東衣川、西には西衣川が山裾を流れる。山の西〜南〜東は比較的急斜面、北側はなだらかな斜面となっている。

 山頂に東西に長い楕円形に一の曲輪を配し、周囲には土塁を廻して東と南に平虎口を設けている。一の曲輪と同心円上に二の曲輪を配し、直径は20〜30m一の曲輪に対し、二の曲輪は70〜80m。
 二の曲輪は南側に虎口を設けているが、大手は甲信国境の北向きか、それとも東を通る佐久往還(佐久甲州街道、現在の国道141号線)か。

谷戸城の空掘


 城郭の歴史
 谷戸城は甲斐源氏の祖の新羅三郎光義の孫・逸見黒源太清光の居城で、当時逸見山の館と呼ばれた。
清光は長男・光長を逸見の庄に、二男信義を武田の庄に配したのをはじめとし、千余人の男子を甲斐の要地に拠らせて甲斐源氏繁栄のもとを開いたが、東鑑の治承4年(1180)9月の記事に武田太郎信義らが信濃平氏に勝って返り逸見山に宿したとあるのが、この城である。

 谷戸城は八ヶ岳山麓の天険を使用して築いた山城で、遠望した山の形が茶臼に似ているので一名を茶臼山城という。城の麓には東衣川、西衣川が流れ、堀の役目をしていた。
 城の本丸に土塁を巡らした、ほぼ1000m2の平坦地で、二の丸、三の丸とも塁壕(からぼり)を残している。我が国平安末〜鎌倉初期の城跡としてまことに基調である。
 清光は仁安3年(1168)6月、この城で没した。享年59歳、本丸の八幡宮に清光の霊を合祀して開源明神といっている。
ちなみに武田信義の16代目の後裔が晴信(信玄)である。
大泉村 現地案内板より





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