下山城
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 城郭の概要
所在地:南巨摩郡身延町下山
別 名 :下山氏屋敷
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平城
遺 構 : −
城 域 : −

 現地への案内
交通機関は車を利用
 国道52号線、下山地区の身延北小学校の西、本国寺
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 本国寺の駐車場を利用、約10台駐車可

【訪 城】2005年8月
【撮 影】2005年8月

評価項目 見所評価
選地 ☆☆
縄張り ☆☆
普請 ☆☆
体力消耗度 ☆☆
お勧め度 ☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

本国寺の山門

 現地の状況
 下山城は長栄山本国寺一帯であるとされているが、城郭遺構は残されていない。
なお、境内にある穴山八幡神社には、穴山氏がこの地を領していた関係から穴山信君(梅雪)が祀られている。


 城郭の歴史
 鎌倉時代に下山氏が居住、応永25年(1481)の頃、武田氏の一族穴山氏が河内に入部し、下山氏館跡に居館を構えた。
 なお、下山氏の起こりは、甲斐源氏・加賀美遠光の子・秋山光朝(秋山荘・中巨摩郡甲西町秋山)の子孫が下山の地を領して下山氏を名乗った。
 下山氏の起こりについては、建仁年間(1201〜1204)に小太郎光重が下山に入部し、下山小太郎光重と称したとの説もある。

 武田信武の子・義武が逸見郡穴山(韮崎市穴山)に分封されて穴山姓を名乗った。15世紀前半、穴山氏は奥州に去った南部氏の河内領に進出し、河内領一円を支配。
 河内領に移った穴山氏は南部地方に在地した後、下山氏の館跡に本拠を移した。
 なお、穴山氏は武田親族衆として武田家の中で重きをなし、天正10年織田・徳川軍の甲斐進出に際して駿河・田中城を守備していた穴山信君は徳川家康に寝返り、徳川軍の甲斐攻略に際し、案内役として働く。
 穴山信君は、甲斐攻略の戦功を認められ、信長から所領を安堵されたが、本能寺の変の時、家康とともに安土城を訪問の後に堺(大阪府)から、駿河に帰国途中、山城国綴喜郡の現在の木津川河畔(現在の京都府京田辺市の山城大橋近く)で土民に襲われて殺された。




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お勧め度






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