真篠城
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 城郭の概要
所在地:南巨摩郡富沢町福士字真篠
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :土塁,堀切,畝状堅堀
城 域 :200m×130m
     標高 260m
     比高 50m

 現地への案内
交通機関は車を利用
 国道52号線富栄橋西の信号から真篠地区へ

 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 真篠地区の空地を利用、空地に10台程度駐車可
【訪 城】2005年8月
【撮 影】2005年8月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
堀切
南の曲輪と主曲輪間の堀切

 現地の状況
 真篠城は富士川街道(国道52号線)を見下ろす位置にあり、富士川街道の監視と、甲駿国境警備の目的で築かれていることは間違いない。
富士川街道から真篠城の位置を見上げると、真篠城の背後は絶壁の要害地形に築かれていることが確認できる。

 真篠地区の集会センター(公民館)横の道(旧河内路、駿州街道)から山にはいると、5分足らずで真篠城の南、真下に出る。ここから比高差10mほどの斜面を登ると城域に入る。
 城域にはいると、南の曲輪前面の尾根に平行して畝状堅堀が6条配置された異様な光景に出くわす。
通常の縄張りであれば、「尾根には堀切、堅堀は谷筋」と相場は決まっているのであるが、この真篠城の堅堀は、山城の常識を覆すものである。
 南曲輪から北に堀切を介して主曲輪に至る、主曲輪は南北50m、東西50mほどの砲弾型で、周囲には高さ2〜3mほどの土塁を巡らせ、北,東,南西角に虎口を設け、東虎口は食い違い虎口である。
 主曲輪から北西尾根には堀切に渡した土橋を介して馬出状の曲輪と続く。
 主曲輪東側の曲輪には土塁の底部に土止めの石積みを確認するが、当時のものか確信には至らず。
 真篠城の遺構は、この地域を支配した穴山氏、若しくは天正壬午の乱で徳川氏による改修が考えられる。

畝状堅堀
南の曲輪前面尾根の畝状堅堀

 城郭の歴史
 天文から永禄年代(1532〜1569)に武田信玄の命により構築され、その家臣原大隅守が警護したといわれ、城山全体が砦(山城)としての遺構を備えており、甲斐,駿河の国境に近く、その守備と周辺の砦との連絡に必要な拠点性に加えて、山地の要害を巧みに取り入れて構築されている。
富沢町教育委員会
縄張り図





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