日ノ出城(別名日ノ出砦)
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 城郭の概要
所在地:山梨市下栗原
別 名 :日ノ出砦,鷹巣の塁
築 城 :応永年間(1394〜1428)
初城主: −
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,堀?
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用
 国道141号線、絵見堂信号から島上条宮久保絵見堂線に入り、日之城の中央自動車道脇

 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
空地に駐車

【訪 城】
2007年8月
【撮 影】2007年8月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

塩川から日ノ出城の台地を望む
塩川から日ノ出城の台地を望む

 現地の状況
 日ノ出城は新府城の西約3kmにあり、釜無川の支流である塩川左岸の台地上にあって、背後は塩川を臨む断崖地形に守られた後堅固の城である。

 神明神社付近から台地に上がると、塩川の断崖絶壁の地形とはうって変わって、平坦な地形が広がっている。
 あちこちに日ノ出城への案内板はあるが、イマイチ要領を得ない案内板で、案内板としての役目を果たしていない。作業をしている地元の方に尋ねてようやく日ノ出城の石碑までたどり着いた。

 石碑横の概略図では、広大な地域を日ノ出城として取り扱っているため、途中の案内板が特定の場所へ誘導するように建てられていたいことに気がついた。

 発掘調査や表面観察、あるいは古老の言い伝えなどを元に、日ノ出城全体の概略図が示されており、土塁や空堀なども随所に見られるようであるが、訪れたのが折しも8月、下草が多く、“窪みがある”、“土塁らしきものがある” という具合で、これまた要領を得なかった。
 訪城される場合は、冬から春先にかけてがお薦めのようです。

日ノ出城の概略図
日ノ出城の概略図

 城郭の歴史
 応永23年(1416)始祖義光を初代として13代目の武田信満は、関東公方足利持氏と執事上杉禅秀(氏憲)との確執から始まった戦いに際し、上杉禅秀に娘を嫁がせていたことから禅秀のために出馬するが、禅秀は敗れ、信満自身も東山梨郡大和村の天目山で自害する。

信満が自害した後、甲斐守護職を継いだ信元はまもなく死去し、信長の子・伊豆千代丸が武田家の養子に入る。
 この頃、甲斐守護代は信濃から入国した小笠原家の分家である跡部氏が務めており、逸見氏とともに守護職を狙い対立した。

 永享5(1433)年4月、日ノ出城に拠った武田右馬助信長は「日一揆」と共に跡部氏と戦うが敗れ、以後日ノ出城は廃城となる。

 天正10年(1582)武田家が田野の景徳院で滅んだ後、武田氏の領地である甲斐,信濃、および上野をめぐって北条氏と徳川氏が対立(天正壬午の乱)した時、新府城に入った徳川家康が改修した。

日ノ出城の石碑
日ノ出城の石碑

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