甲斐 秋山館
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 城郭の概要
所在地:南アルプス市秋山
別 名 : −
築 城 :治承年間(1177〜80)頃か
初城主:秋山光朝
区 分 :館
遺 構 :土塁,曲輪
城 域 :120m×60m

 現地への案内
交通機関は車を利用
国道52号線から秋山地区へ
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 空地を利用

【訪 城】2005年8月
【撮 影】2005年8月
評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

秋山館の遠望
秋山館の遠望

 現地の状況
 秋山地区のほぼ中央部に熊野神社の祀られている丘が、秋山氏の館跡である。
比高差約15mほどの小さな独立丘で、熊野神社の拝殿裏の最高部に30m×20mほどの曲輪があり、ここが主曲輪ではなかったかと推察された。
主曲輪の北側に2段の袖曲輪といった小振りな館である。

 現地の源光朝公城郭古図(文禄3年(1592))によれば、館の前面に内堀,中堀、および外堀を配していたようであるが、周囲の畑地が若干低い程度で、当時の堀が偲ばれるようなものは残っていない。

なお、秋山氏館の南100m、光昌寺横に、甲斐源氏秋山家発祥の地の石碑と共に、秋山太郎光朝の廟がある。

秋山館の主曲輪、背後は熊野神社
秋山館の主曲輪、背後は熊野神社

 城郭の歴史
 秋山光朝は甲斐源氏加賀見遠光の嫡子として保元3年(1158)加賀美氏の館に生まれた。
 当初は加賀美太郎と称したが、大井の庄を支配するに及んで山寄りの要害地秋山に館を構え秋山八郎と称した。

 秋山館は秋山八郎の館で、東西120m南北約60mの独立丘に築かれている。
 光朝は平時京に在って平氏に仕え、平清盛の子・知盛の側に属し、また清盛の長男重盛の娘を妻とした。
 このため治承4年(1180)10月の源氏旗揚げの際、遅参し頼朝の不信をかった。また、当時木曽義仲と通じていたとされ、これを理由に文治元年鎌倉勢に攻められ、背後の雨鳴山において自害したと伝えられる。

 なお、後に武田信玄のもとで上伊那郡代を経て飯田城城主となった秋山信友は秋山氏12代目の当主である。

秋山氏の祖・光朝と夫人の墓
秋山氏の祖・光朝と夫人の墓


雨鳴山(手前に見える山の後方)の遠景
雨鳴山(手前に見える山の後方)の遠景




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お勧め度





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