富山城
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 城郭の概要
所在地:富山市本丸
別 名 :安住城
築 城 :天文12年(1543)か
初城主:神保長職か
区 分 :平城
遺 構 :曲輪,石垣,,掘
城 域 :300m×300m


 現地への案内
交通機関は車を利用
富山駅の南、約1km
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 有料駐車場を利用
【訪 城】2000年7月
【撮 影】2000年7月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り
普請
体力消耗度
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

富山城模擬天守
模擬天守閣

 現地の状況
 富山城は神通川の東に位置しており、当時の神通川は北から西に蛇行して流れ、南には神通川の支流である土川が流れるなど三方を川に囲まれた要害地形であったとされる。こうした水利を利用して、当時は三方に二重の堀をもち、西側の神通川方面を搦手、東を大手としていた。

 現在は、本丸跡と堀の一部が残るだけで、本丸跡は公園化されている。天守をもつ建物は昭和29年に富山産業大博覧会を機会に建てられた模擬天守で、市立郷土博物館として利用されている。
この天守閣、模擬とはいえ富山市のシンボルとして活用されているわけだが、排気ガスの影響だろうか、薄汚れているのが非常に気になった。もう少し小綺麗にして欲しいものである。

石垣
城内の石垣

 城郭の歴史
 富山城の創築は天文年間(1532〜1555)中頃に神保長職(ながもと)の武将水越勝重によって築かれたのをはじめとする。
 元亀3年(1572)越中西部で一向一揆が蜂起し、五福山で上杉勢を破って富山城を占拠するに至ったが、天正元年(1573)稲荷,岩瀬,本郷,二宮,押上などに向城を築いた上杉謙信によって落城。

 天正6年(1578)上杉謙信が急死すると織田信長の北陸攻略が始まり、天正9年(1581)佐々成政を越中守護職に封じ富山城に入城させた。
 天正12年(1584)小牧長久手の戦いの際、成政は越中で挙兵し隣国の前田利家と戦ったが、豊臣秀吉が動員した10万の大軍の前に軍門に下り、越中は前田氏が領するところとなり、富山城には前田利長が入城。その後、代々前田氏が居城して明治を迎えた。





観 光
本覚寺
富山市婦中町富崎5182
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神保氏ゆかりの寺で、神保安芸守長職の菩提寺と伝えられる。

王塚・千坊山遺跡群(国指定史跡)
富山市婦中町羽根字下平3-1
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・日本海沿岸交流を物語る弥生時代の四隅突出型墳丘墓や、前方後方形墳丘墓、県内有数の大型前方後方墳である王塚古墳・勅使塚古墳、古墳群がみられる。

諏訪町本通り
富山市八尾町諏訪町
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日本の道100選に選ばれている町並み。


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