駿河 田中城
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【城郭の概要】

所在地:藤枝市西益津
別 名 :亀甲城・亀井城
築 城 :永禄13年(元亀元年、1570)
初城主:武田信玄
区 分 :丘城 
遺 構 :土塁,水堀,石垣
面 積 :600m×600m
      標高 15m


市指定史跡 

田中城下屋敷に移築された本丸櫓
田中城下屋敷に移築された本丸櫓

国道1号線大手の信号を東入る、県道224号線に入り西益津小学校
・駐車:田中城下屋敷の駐車場を利用
・撮影:2008年8月


遺構の保存状態 ★★☆
遺構確認し易さ ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
の数の多い方が良い(または、激しい)





【現地の状況】
 田中城は永禄13年(1570)に武田信玄が駿河攻略のために小山城とともに馬場美濃守に命じて築いた城で、本丸を中心に、同心円状に二の丸、三の丸および水堀が配置され、円形の城として全国的にも非常に珍しい縄張りがされている。
 現在も西益津小学校を中心に、同心円を書くように道路が走り、初めて行くと方向が判らなくなる。(^^)
 西益津小学校が本丸にあたり、校門前には石碑が建ち、田中城のミニチュアが置かれている。
 遺構は西益津小学校の周囲に、二之堀が残り、周囲の住宅地の中には土塁が残っている。また、近くには下屋敷も復元され、本丸櫓が移築されている。
 なお、田中城の別名が亀甲城や亀井城と呼ばれているのは、三の丸の形状が亀の甲状であったからであるという。
西益津小学校近くに残る二の堀
西益津小学校近くに残る二の堀

【城郭の歴史】
 永禄11年に駿河に侵攻した武田信玄は永禄13年、駿河国西部に残存する今川方の属城を攻め落とすべく、馬場美濃守に命じ徳之一色城を修築し、田中城をとした。

 
徳川領の遠江攻略の拠点として、田中城と前後して築かれた諏訪原城小山城を支援する役割を負っていたと考えられている。
 武田氏によって三重の堀や三日月堀が掘られたが、江戸時代のはじめ城主・酒井忠利による拡張工事によって四重の堀が完成する。

【2003.5.14追記】
 天正3年武田勝頼軍が三河長篠で敗れた後、徳川軍による反撃が開始され、天正3年8月24日、遠江と駿河を結ぶ武田軍の拠点の諏訪原城が落城する。その後、天正6年頃から島田市初倉の色尾(井籠)から大井川を渡河した徳川軍は田中城との間に付城を築き、駿河への侵攻が開始される。
 家忠日記によると、徳川軍による田中城への攻撃は落城するまでの間に以下の7回を数える。
   ・天正6年3月9日
   ・同年8月21日
   ・同年9月22日
   ・天正8年5月3日
   ・同年7月27日
   ・天正9年
   ・天正10年3月1日落城
 徳川軍は天正8年3月29日に田中城に対して、岩城山砦二つ山砦(二つ山南砦、藤五郎山)等の付城を築いたとしている。その他、烏帽子山砦八幡山砦等もその付城ではないかとされている。

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