佐久城
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【城郭の概要】
所在地:引佐郡三ヶ日町都筑字西平
別 名 :浜名城
築 城 :
初城主:
区 分 :平城
遺 構 :土塁,空堀,井戸
面 積 :




























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土橋と馬出曲輪



佐久城縄張り図

 国道362号線野崎の信号を南入る
猪鼻湖東急リゾートタウンの湖岸

・駐車:城址前の空き地に3台
・撮影:2001年11月

遺構の保存状態 ★★★
遺構確認し易さ ★★★
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
の数の多い方が良い(または、激しい)
















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【現地の状況】
 佐久城は猪鼻湖東岸に突き出した半島状の湖岸段丘上にあり、東急リゾートタウンの住宅地の一画にある。案内板の車を前に車を止めると、目の前に横堀が飛び込んでくる。 この城の最大の特徴は馬出状曲輪と、長さ7〜8mの土橋を経て続く枡形虎口である。また、この馬出状曲輪は武田系城郭でよく見られる丸馬出と非常によく似ている。この馬出状曲輪をひとつの例にあげて、愛知城郭研究会の石川氏は丸馬出は武田氏特有の技術ではないとしている。
馬出の規模は静岡県本川根にある小長谷城(小長井城)ほど代程度で、馬出の前面には高さ2mほどの分厚い土塁を配している。

 武田氏城郭の場合、新府城に丸馬出と直線枡形を組み合わせたものが見られるが、こうした2折・1空間の枡形を用いた例は私の知り限りではない。
 この馬出の使い方を武田系城郭のそれと比較すると、佐久城での使われ方は防御を目的にされており、武田系のように攻撃を意識したものとは、パーツとしての使い方が異なるように観える。


【城郭の歴史】
 この背後の高地は室町時代浜名地蔵(三ヶ日町一帯)を支配した浜名氏の居城、佐久城(別名浜名城)跡である。浜名氏は平安時代鵺代を本拠として興起した猪鼻氏の系統を引き「鵺退治」で有名な源三位頼政の子孫といわれる。室町初期の貞和4年、その中興の祖浜名左近太夫清政がこの地域に築城居住して以来子孫は足利幕府の奉公衆となり常に京都にあって将軍の側近として活躍、また歴代歌人としても著名であった。清政より九代目の肥前守頼広の時、永禄11年(1586)12月徳川家康の遠州進入にあたり守護今川家のために当城によって抵抗したが翌12年(1569)2月力つきて降伏没落し、以来、家康の武将本多百助信俊が守備したが、天正11年(1583)東北方の野路城構築により廃城となった。
 その遺構は見取り図の如く半島突端に楕円形の本丸(本曲輪)南側に大きな空堀を隔て、二の丸(南曲輪)が残存するのみで、埋め立てられた現在地周辺は字名伽馬といい、旧厩舎の所在地と思われ、これより東方200mぐらいに及ぶ範囲が城内と考えられ、これより字本城、南本城等の字名が残り、侍屋敷などがあると思われる。
三ヶ日町教育委員会 現地案内板より


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