遠江 小山城
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【城郭の概要】
所在地:榛原郡吉田町片岡能満寺山
別 名 : −
築 城 :戦国時代
初城主:今川氏
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,空堀
面 積 :200m×150m
     標高 30m

     比高 20m




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小山城の模擬天守
小山城模擬天守

 国道150号線、吉田町片岡の信号から県道34号線
・駐車:無料駐車場あり
・撮影:2001年8月

遺構の保存状態 ★★☆
遺構確認し易さ ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
の数の多い方が良い(または、激しい)
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 現地の状況
 吉田町にはいると犬山城を模したという模擬天守が遠くからも目を引く。
現存遺構の最大の見物は西に開いた大手口を防御する形で配置された三重の空堀である。

 二の曲輪に造られた三日月堀や丸馬出は、終戦当時ミカン畑になっていたものを、絵図を元に復元されたものである。
 築城当時は背後(東側)を大井川が流れていたといい、堅城であったことを窺わせる。


小山城模擬天守
 城郭の歴史
 牧之原台地の枝尾根の最東端、大井川右岸の三角洲に張り出した舌状台地の先端を利用して築城された平山城である。

 永禄12年に甲斐の武田信玄は相甲駿の三国同盟を破って、富士川沿いに今川氏の駿河に進攻、時を同じくして三河の徳川家康も遠江に進攻。駿河府中の今川氏真は掛川城に逃れ、この時から大井川を境として東の駿河を武田氏が、西の遠江を徳川氏が領有することになったが、武田軍は大井川を越え小山城に入った。

 一方、徳川家康は松平(大給)左近真乗に小山周辺に知行地を与え、攻防の結果、元亀元年(1570)、小山城は松平氏の領有するところとなった。しかし翌元亀2年、武田軍は二万五千の兵で攻め寄せ、小山城は再度武田方が奪還することとなる。

 小山城の本格的築城はこれ以後で、信玄は馬場美濃守信房(信春)を奉行として修築させ、遠江の高天神城攻略の橋頭堡とする。

 武田信玄の死後、跡を継いだ武田勝頼は、さらに海沿いに南下し馬場美濃守信房に命じ、滝堺城を築城し、天正2年(1574)には父の遺志を継いで高天神城を攻略。
 しかし、天正3年長篠設楽原の戦いで武田軍が織田・徳川連合軍に敗れた後からは、徳川軍による諏訪原城への攻勢が開始され、天正3年に諏訪原城は落城する。

 諏訪原城が落城してからは高天神城への繋ぎの城として小山城から海岸沿いの東ルートが重要性を増し、天正4年(1576)に勝頼は高天神城支援のために、相良城(相良町)を築城する。
 天正9年に高天神城が徳川軍によって攻略されたのち、同10年2月には小山城も徳川軍にによって攻略され、その後は廃城となる。



小山城をもっと紹介


小山城の縄張り模型



空堀と架橋



三日月堀



馬出状曲輪

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