三方原の戦いにおける武田軍の行軍ルートを辿る
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甲府から遠江へ

 元亀3年10月武田信玄は甲府を出発、高遠(長野県)から天竜川沿いに飯田を経て,青崩峠を越え水窪から犬居城に入った。
ここで兵力を二分し、一隊を只来から二俣へ向かわせ、信玄は秋葉街道(信州街道)を南下、途中天方城,一宮城,飯田城の諸城を落とし、見付(磐田)から合代島に入り、陣を構えて二俣城の攻撃を開始した。この時、信玄の本陣は社山城とも亀井戸城とも言われて、二俣城からは約5〜6kmの距離にある。
同時に信玄は徳川家康の後詰に備えて、天竜川の左岸・神増(かんぞう)に馬場信春を配した。

 12月12日には二俣城を落とした信玄は、12月22日に合代島を出発、天竜川を押し渡り、徳川家康の居城・浜松城を目指した。

武田軍の行軍ルート

合代島から三方原までのルートを辿る

 天竜川を渡河した武田軍のルートを、2003年10月,2006年8月に実際に現地で辿ってみました。

なお、武田軍の南下ルートは高柳光壽氏の著書・「三方原の戦い〜武田信玄の戦略」(昭和63年3月20日新装第一刷)を参考にしました。

合代島mapfan を出発した信玄の天竜川渡河地点は神増であるとされており、現在の浜北大橋の上流約1km辺りで、mapfan 現在の社山城の前(県道61号線と44号線の交差点)から天竜川に向う道、もしくは300mほど北の道で村民体育館に出る道のいずれかではないかと考えられます。

 天竜川を渡河した武田軍は二俣西街道(県道45号線)をまたぎ、秋葉街道(国道152号線)に出て南下するが、現地の町並みから、当時秋葉街道と呼ばれたのは現在の国道152号線ではなく、県道45号線と国道152号線の間にある道ではないかと感じた。

 秋葉街道を南下した武田軍は大菩薩の欠下から三方原に上がり、ここで陣を取ったとある。
ところが、いくら探しても欠下という地名はないが、有玉中の信号を西に入ると有玉団地への入り口に染地川に掛かる橋のひとつに、欠下橋がある。mapfan
欠下橋
有玉中の信号横にかかる欠下橋

 おそらく当時は欠下という地名であったのだろうが、有玉団地ができたことで欠下という地名が無くなってしまったのだろうか。この欠下橋から有玉団地へ登る道には「信玄街道」との伝承がある。

 三方原台地に上がった武田軍は大菩薩で陣を取ったとされるが、その場所は東名高速の三方原PA一帯mapfan 、もしくは宗長日記にある “楞巌寺” mapfan の北の船岡山ではないかとされるが、どちらか決め手はない。
大菩薩
大菩薩と称される東名高速の三方原PA付近

 大菩薩で休息を取った武田軍は追分(現在の本追分の交差点)mapfan に着くと、姫街道を北上したとされる。
追分から金指街道(国道257号線)を南下すれば、浜松城に至る、その距離約6km。現在の追分は国道257号線(金指街道)と県道261号線(姫街道)が交わり、車の通行量も多い繁華街である。名前が追分ということから当時も、幾つかの道の分岐点であったことが推測される。

 この姫街道は三方原台地を北西に横切り、大谷から引佐郡細江町に入り、刑部城の前を通り、国道362号線と名前を変えて三ケ日から豊川市に抜ける。道筋には現在も松並木が残り、街道としての雰囲気を残しているが、姫街道という名前はいつの時代から付けられたものか定かではない。

 武田軍が三方原台地の北端で陣を張り徳川軍を待ち構えたと云われる根洗松は金指街道(現国道257号線)の横に位置し、三方原台地の北端では姫街道から約1.5km東になる。
疑問を感じながらも、とりあえず姫街道を北上し、和知大谷川に沿って根洗松mapfan に出る。

 根洗松は国道257号線の西側にあり、この松の東約200mほどのところが、信玄が本陣を構えたところで、昔は小高い丘であったと云うが今は整地され丘らしきものはなく畑地となり、また武田軍と徳川軍が戦った戦場と思しき一帯は住宅地となり、面影はない。
信玄が本陣を構えた一帯
武田信玄が本陣を構えたとされる一帯

この根洗松から旧道に入り、北へ400mほども行くと、三方原の戦いの引き金となった祝田坂がある。mapfan 

 幸運なことに、祝田坂はほぼ当時のままの姿を残していた。
住宅地の間を抜け未舗装の道を100mも進むと林の中、なだらかな傾斜とともに道幅は徐々に細くなり、最終的には人が一人通れる程度の道となる。右手は切岸状で高さ5m〜6m、左手は深い谷へ落ち込む地形で、祝田坂を降りる武田軍を背後から攻撃しようとした徳川軍の作戦というものが、この坂を見てようやく理解できた。

 祝田坂は200〜300mほどの長さで、坂を下りきると国道257号線と合流するのだが、三方原の戦いを思い起こさせるのには十分な雰囲気をもっていた。
2006年9月17日記






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