三方原の古戦場を訪ねる
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祝田坂

 根洗松から距離にして北に約700m、国道257号線の西側の住宅地の裏手にあり、道幅約1m〜3mのなんの変哲のない坂道が祝田坂である。
 三方原台地に深く切れ込む谷に沿って付けられた道で、長さは約200m、谷との比高差は30〜40m。道幅も当時から比べると多少拡張されてはいると考えられるが、当時の状態をよく残しているのではなかと思われる。


祝田坂の旧道

【根上り松の前に建てられた現地案内板より】
 三方原の戦いから現在までに420年の歳月が流れている。三方原の戦いでは武田軍3万に対し、徳川軍は援軍を含めても三分の一の兵力で、しかも老練な戦術家の信玄に立ち向かうことは極めて不利な戦いであった。
徳川軍は武田軍が祝田坂を下るところを一気に攻めようと両軍とも祝田坂に勝利のきっかけを掴もうとしたことは確かだ。
 祝田坂は著名な三方原の戦いの書物に写真入りで紹介されている。しかしながら、現在バスの通行している新道の祝田坂は誤りである。三方原の戦いの時の祝田坂は、旧道であることを知って貰いたい。
三方原歴史文化保存会

【所在地】 浜松市三方原町
詳細はコチラ mapfan

【訪問日】 2003年10月,2006年8月

【現地を訪れて】
 祝田坂は、高柳光壽氏の北端説によると、この坂を武田軍が降りるところを攻撃すれば勝機ありとして、徳川軍が浜松城を出て、三方原台地を北上する武田軍を追尾してきたとされている坂である。
現地には案内板もないが、いかにもという雰囲気のある坂だった。しかし、実際に坂を見て、追尾してきている徳川軍を背にして武田軍が、この坂を降りるなど考えられないと思った。また、徳川家康が本気で、こうした戦術を考えていたとは考えにくく、高柳光壽氏の北端説に対し、疑問を感じた。

 この坂を見てからというもの、三方原の戦いは富田日出雄氏の「戦いは大菩薩付近で行われた」という説を支持したくなった。(^^)



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