浜松城
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 城郭の概要
所在地:浜松市元城町
別 名 :古宮城
築 城 :元亀元年(1570)
初城主:徳川家康
区 分 :平山城
遺 構 :井戸,石垣
城 域 :600m×400m
     比高 50m

市指定史跡

 現地への案内
交通機関は車を利用
 JR浜松駅から北へ約1km
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
市営有料駐車場を利用
【訪 城】2002年8月,2006年7月
【撮 影】2002年8月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


家康の遠江進出と三方原の戦い
徳川家康の遠江進出
三方原の古戦場を訪ねる



お薦めの書籍・DVD
お勧め度










天主台跡に建てられた復興天守閣

 現地の状況
 三方原台地の南端、浜松市の中心市街地にあって、浜松城公園として市民に親しまれている。
 本丸部分は比較的よく残されているが二の丸、三の丸あたりは市役所などが建てられて当時を偲ぶものはない。浜松城の石垣は、館山寺の東大草山、根本山、湖西市知波田方面などから出る珪岩を使った野面積みで、他では見ることの出来ない荒々しさが特徴的である。

 天守閣は鉄筋造りで少々興ざめするが、最上階からは浜松市内を一望できる。また浜松城築城以前に機能していた曳馬城との位置関係を確認するには絶好。

珪岩で積まれた石垣


 城郭の歴史
 家康は29歳の時、この浜松城に移り天正14年(1586)45歳で駿府城(静岡市)に入るまで在城17年の長きに及んでいます。
有名な姉川,長篠,小牧,長久手の戦いもみなこの期間に行われ、特に元亀3年(1572)の三方原合戦は、家康の生涯における難戦で、関ヶ原合戦以上の戦いでした。家康にとって、この浜松在城17年間は徳川300年の歴史を築くための試練の年でもあったわけで、浜松城が出世城と云われるのもけだし当然といえます。
 城郭は南北約500m、東西約450mの地域にわたり、三方ヶ原台地の斜面に沿って天守閣、本丸、二の丸、三の丸がほぼ一直線に並び、いわゆる梯郭式の築城法に属しています。その他作左曲輪、出丸などもあり、古城と称する箇所は引馬城(曳馬城)の跡と云われています。また現存する石垣は築城当時そのままのもので野戦城にふさわしく荒削りの石を使って頑丈に築城してあります。
 家康の後浜松城は豊臣の家臣堀尾氏が城主となりましたが、江戸に幕府が開かれてからは代々譜代大名にこれを守らせました。その石高は概ね五万石前後でしたが、松平(大給、本庄、大河内)水野、高力、太田、青山氏などが在城し、井上氏になって明治維新を迎えました。城主として特に有名なのは天保の改革を行った水野越前守忠邦です。忠邦は肥前唐津にいましたが、その栄達を望んで、すすんで浜松城主になったといわれています。
 明治維新後、城郭は壊されすっかり荒廃に帰して、苔むす石垣に当時の面影を偲ぶばかりですが、昭和34年6月1日、市の史跡に指定されました。
 昭和33年春、浜松市民の努力が遂に実を結び、旧天守閣跡に立派な新天守閣の再建を見るに至りました。三階展望台は海抜50m余あります。
現地案内板より

安政年間の浜松城絵図




観光
鎧掛松
 本丸の南、中央図書館と道路を挟んだ市役所前に徳川家康の「鎧掛け松」がある。この松は、元亀3年(1572)三方原の合戦から生還した家康が城内で休息を取ったときに鎧を脱いでかけたことから鎧掛松と呼ばれるようになったという。
 現在の松は昭和56年に元城町の人々の手によって植樹された三代目で、初代は浜松城内の堀のそばにあったが整備に伴い移された。




秀忠誕生の井戸
 二代目将軍徳川秀忠の誕生井戸が遠州鉄道の遠州病院前駅の横にある。

 誕生井戸は元々、西方約50mほどのところにあった。当時その一帯は旧城下で家康在城当時は下屋敷が構えられていた。二代将軍秀忠の生母は家康の側室西郷の局で秀忠の出産は同下屋敷で行われた。その時に使われた産湯の井戸を誕生井戸という。
また北方の誕生橋は秀忠の生まれた下屋敷が誕生屋敷と呼ばれたことにちなんでの命名されている。




グルメ
うなぎ藤田
浜松市小豆餅3-21-12
TEL 053-438-1515
 タレはウナギ本来の味が判るように若干薄目、とろけるようなうまさは絶品。
成人男子なら、鰻重(山)2.300円でボリュームも満足。


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