美作 津山城
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 城郭の概要
所在地:津山市山下
別 名 : -
築 城 :嘉吉年間(1441〜1444)
初城主:山名忠政
区 分 :平山城
遺 構 :石垣,天守台,備中櫓(復元)
 現地への案内
交通機関は車を利用
有料駐車場を利用
詳細位置はコチラ 
JR
 駐車場
【訪 城】2001年,2008年8月
【撮 影】2008年8月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



復元された備中櫓
復元された備中櫓

 現地の状況
 津山城は津山市街地にあって宮川と吉井川が合流する北、比高50mほどの鶴山と呼ばれる小山に築かれている。

 平成17年(2005年)に備中櫓、平成18年(2006)には天守台南側に太鼓塀が復元された以外に建物は残されていないが、見事な高石垣が残されており、ややもすると比高50mの平山城であることを忘れさせるほどである。
特に本丸北端にある月見櫓、栗積櫓の高石垣は高さといい、その重厚さといい見応えがある。

 平成17年(2005年)には備中櫓が、また平成18年(2006)には天守台南側に太鼓塀が復元された。備中櫓は奥向御殿の更に奥に位置し、尚かつ御殿の一部として機能していたため、内部は御殿建築仕上げとなっている。
なお、津山城は春ともなれば、城内にある数千本の桜が咲き乱れる「桜の名所」としても知られている。

月見櫓台
月見櫓台

 城郭の歴史
 津山城は、嘉吉年間(1441〜1444)美作国守護職であった山名教清が山名忠政に津山盆地にある鶴山の丘陵地に鶴山城を築かせたのを創築とする。

 慶長8年(1603)美作18万6千石で入封した森忠政が、鶴山城の跡地に新城の建設を開始し、13年の歳月をかけ元和2年(1616)に五層五階の天守をもつ津山城を完成させた。この天守は破風をもたない層塔型であったことが明治時代の写真などからわかっている

 本丸天守曲輪には二層の小天守や多聞櫓が廻らされ、本丸以下には50基の櫓が建ち並び、津山盆地のどこからでも城が見える勇壮な姿であったとされる。

 元禄10年(1697)森氏は断絶。津山城は安芸国広島城主・浅野綱長を城番として守らせた。
翌元禄11年(1698)松平宣富(のぶとみ)が越後国高田藩より10万石で入封。宣富は徳川家康の第二子・越前福井城主の松平秀康(結城秀康)の曽孫で、越前家といわれ徳川一門中でも権威のある家筋で、津山藩は幕政を支える要となった。

 以後、明治4年(1871)の廃藩置県まで存続し、明治7年(1874)天守・櫓などの建物はことごとく取り壊された。


津山城をもっと紹介

備中櫓
備中櫓

備中櫓
備中櫓


北門横の薬研堀
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二の丸への石段
二の丸への石段

復元された太鼓塀
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二の丸の石垣
二の丸石垣


天守台と穴蔵
天守台と穴蔵


切り出し途中で置かれた石
切り出し途中で置かれた石



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