備前 岡山城(鵜城)
HOME西日本の城郭
 城郭の概要
所在地:岡山市丸の内
別 名 :烏城
築 城 :正平年間(1346-70))
初城主:
区 分 :平城
遺 構 :模擬天守、月見櫓,西手櫓、土塁、空堀
      比高 30m
 現地への案内
交通機関は車を利用
河川敷駐車場を利用
詳細位置はコチラ 

 駐車場
【訪 城】2001年,2008年8月
【撮 影】2008年8月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



後楽園から見る岡山城天守閣
後楽園から見る岡山城天守閣

 現地の状況
 岡山城は市内を流れる旭川湾曲部の小丘を利用し、旭川を堀として取り込んだ平城である。その天守閣は黒い下見板張りの黒造りであることから「烏城」ともよばれ、また金の鯱を挙げていたと伝えられるため「金烏城」との別名をもつ。
旭川の対岸の後楽園から見る天守閣の雄姿は、白亜の姫路城にも比肩する美しさである。

 岡山城天守閣は昭和6年に国宝に指定されたが、昭和20年(1945)戦災により焼失した後、昭和41年(1966)に復元されたもので、鉄筋コンクリート造りではあるが、外観は旧来の通りのものである。

 岡山城の三重六階の天守閣は不等辺五角形の天守台の上に、二重の大入母屋の上に各層の入母屋屋根を交互に重ねる形をしている。これは岡山城が織田信長が築いた安土城を模して築かれたためであるとされる。
 安土城は不等辺八角形の天主台の上に、入母屋を重ねる構造であったことが明らかになっており、岡山城が天主台が不等辺であること、および入母屋を重ねる構造の天守であったことからも裏付けされている。

 本丸西側には国指定の重要文化財の月見櫓が残る。この月見櫓は外からは二層の櫓であるが、城内からは三層に見える構造となっており、出格子窓は石落としを兼ね実戦的な造りとなっている。
 また、池田光政が隠居した西の丸には二層二階の西手櫓も創建時の姿を今に伝えており、月見櫓と共に国指定の重要文化財となっている。

 城郭の歴史
 戦国期、備前の覇権を握った宇喜多直家は、天正元年(1573)金光宗高の居城のあった岡山・石山の地に築城し居城とした。
 天正9年(1581)宇喜多直家の死後、家督を継いだ次男の秀家は秀吉の寵愛を受けてその猶子となり、天正14年(1586年)には秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫を正室とし、備前52万石、五大老の地位まで上り詰めた。慶長2年(1597)には三層六階の岡山城天守閣が落成した。

 慶長5年(1600)宇喜多秀家は関ヶ原の戦いでは西軍として出陣するが、敗れて八丈島に流配。その後小早川秀秋が筑前・名島から移って岡山城主となったが、2年余りで急死し、後継者がいなかったためお家断絶となる。
 慶長8年(1603)播磨姫路城の池田輝政の二男・忠継が28万石で入封したが、忠継が嗣子無く没したため、元和元年(1615)池田忠雄が淡路由良城から31万5千石で入封。
 寛永9年(1632)、因幡鳥取城から池田光政が31万5千石で岡山城主になって以後池田氏の時代が続き明治維新に至った。

旭川沿いに築城された岡山城天守閣
旭川沿いに築城された岡山城天守閣

岡山城をもっと紹介

小納戸櫓


二の丸虎口


廊下門


天守閣


二の丸虎口


本丸土塀


礎石


岡山城天守閣
HOME西日本の城郭

近江の城郭