大和 高取城
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 城郭の概要
所在地:高市郡高取町上子島
別 名 :芙蓉城,鷹取城
築 城 :南北朝時代
初城主:越智邦澄
区 分 :山城
遺 構 :石垣,天守台,堀切,土塁
城域 :625m×490m
      標高 584m
      比高 250m
 現地への案内
交通機関は車を利用
壺坂口に6台程度駐車スペースあり
詳細位置はコチラ 

 駐車場
【訪 城】2008年4月
【撮 影】2008年4月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り




大手道と本丸石垣

 現地の状況
 高取城の建物は明治の半ばに全て取り壊され、現在では石垣しか残っていないが、複雑な縄張りの中、総延長2700mにもわたって築かれた石垣には圧倒される。美濃岩村城、備中松山城と共に日本三大山城といわれるだけあって壮大な山城である。
 また、高取山からの眺望はすこぶる良く、吉野,大峰,金剛の山々や、大和平野が一望できる。

 現在では壷坂寺経由で自動車道が開通しており、比較的簡単に城址近くまで登ることがでる。しかし体力のある人には麓の壺阪寺からハイキングコース(約1.7km)を登るのがお勧め。約1時間のコースですが、各所に武家屋敷の石垣が残り、本丸まで続く見事な高石垣は山登りの疲れを忘れさせてくる。

 城内の遺構を見た後は、城下の武家屋敷(高取藩家老屋敷)の長屋門(重要文化財)や伝統的建造物として残る高取町の古い町並み等、情緒あふれる散策を楽しむこともでる。その他、高取町内には高取城の二の門が子嶋寺の山門として、新御殿表門が石川医院の門として残っており、こちらも見所のひとつである。


二の丸と太鼓櫓台

 城郭の歴史
 高取城は芙蓉城,鷹取城ともよばれ、南北朝時代、南朝方に属していた貝吹城の越智邦澄が吉野に通じる拠点に支城として築築いたとされる。

 一時期廃城となるが、天正12年(1584)に大和郡山城の城主筒井順慶が改修し、大和郡山城の詰城とした。
 その後、豊臣秀吉の弟秀長が大和郡山城主となり、重臣の本多太郎左衛門に命じて高取城の大改修を行ったのが現在の高取城で、大天主・小天主をはじめ27を数える櫓が高取山山頂一帯に建ち並んでいたとされる。

 文禄4年(1595)秀長の養子の秀保が没すると、利朝は秀吉より一万五千石を領し、関が原の戦いで東軍に属し、二万五千石に加増を受ける。
 寛永14年(1637)に利朝の子の利家が没し、本多氏は無嗣断絶。寛永17年(1640)に植村家政が二万五千石で入封し、以後明治維新まで植村氏が領した。


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壺坂口から見上げる石垣



二の丸の石垣と櫓台



二の丸虎口



本丸虎口



本丸虎口と天守台
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