大和 郡山城
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 城郭の概要
所在地:大和郡山市城内町
別 名 : −
築 城 :天正8年(1580)
初城主:筒井順慶
区 分 :平城
遺 構 :堀,石垣,復興櫓
城域 :625m×490m
      標高 80m
      比高 30m
 現地への案内
交通機関は車を利用
大和郡山城ホールの駐車場を利用(無料)
詳細位置はコチラ 

 駐車場
【訪 城】2008年4月
【撮 影】2008年4月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



復興された東隅櫓
復興された東隅櫓

 現地の状況
 郡山城は筒井氏,豊臣氏,増田氏、および江戸期の藩政時代に改修され、現在の規模になったとされている。
本丸、二の丸、三の丸などの曲輪は左京堀、鰻堀、鷺堀で囲まれ、城内には追手向櫓、東隅櫓、および月見櫓が復元されている。これら櫓は黒い板張りで、おそらくは豊臣秀長時代の郡山城を模して建てられているのであろう。

 本丸天主台の石垣には墓石や地蔵などが転用石として多く使われている。特に地蔵を逆さまに積まれていることから名付けられた「逆さ地蔵」が有名である。
また、本丸には五代将軍綱吉の側用人柳澤吉保を祀った柳沢神社が建てられている。


 城郭の歴史
 天正5年(1577)松永久秀滅亡後、筒井城から郡山城に移った筒井順慶は、天正8年(1580)織田信長から大和一国を与えられ、大々的に郡山城の改修をおこなった。

 順慶は本能寺の変の後も羽柴秀吉から大和一国を安堵されたが、天正12年に28歳の若さで世を去り、跡を継いだ定次も天正13年には伊賀国に転封された。

 代わって大和,紀伊,和泉で100万石を領した豊臣秀吉の異父弟・豊臣秀長が郡山城に入城し、100万石の居城に相応しく改修した。

 文禄4年(1595)豊臣政権五奉行に一人である増田長盛が入城したが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで増田長盛が改易され大久保長安、山口駿河守、筒井主殿が入れ替わり在番。
 以後、藩政時代となり松平氏、本多氏と続き、享保9年(1724)に甲府城から柳沢吉里が入り、幕末まで柳沢15万石の居城となった。

追手向櫓
追手向櫓

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追手向櫓
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