信濃 山家城(中入城)
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 城郭の概要
所在地:松本市大字入山辺
別 名 :中入城
築 城 :鎌倉時代末期
初城主:石川数正
区 分 :山城
遺 構 :土塁,堀切,堅堀,石垣
城 域 :600m×600m
      標高 1057m(山頂まで)
      比高 257m
県指定史跡

 現地への案内

国道143号線城東2丁目の信号を東、県道67号線を入山辺地区の徳運寺、若しくは松本市林業センターを目印

詳細位置はコチラ 

 駐車場
徳運寺の駐車場を利用、上手町の公民館前にも駐車可能

【訪 城】2002年9月,2008年10月
【撮 影】2008年10月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★★
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

その他情報
 山家城のある県道76号線(松本和田線)沿いには、林大城、林小城、桐原城、水番城、および宮原城などが位置し、城郭密集地帯である。
 この辺りだけで終日、充実した山城廻りを楽しめる。









主曲輪東面の石積み
主曲輪東面の石積み

 現地の状況
 山家城は徳運寺の墓地から取り付いて西尾根を登るトートと、徳運寺の東200mのほどの所(上手町の公民館前)から南西尾根を登るルートがあるが、南西尾根は斜度もきついため、遺構を見ながら登れる西尾根がお勧め。

 西尾根からは3条の堀切と曲輪群を経て、20〜25分ほどで主曲輪下の帯曲輪に出る。帯曲輪から主曲輪までは比高差7〜8mほどで見上げる切岸である。
主曲輪の東斜面と南斜面には土止めの石積みが組まれ、特に東斜面の石積みは高さ2m、長さ20mにもおよぶ。

 主曲輪は卵形で30m×20m程の小さな曲輪であるが、主曲輪から山頂へ続く東尾根には4条の巨大な堀切(堅堀)が配されている。
 これら堀切は小笠原氏の居城である林大城や林小城の堀切(堅堀)とは、規模からしてもまったく別のもので、我々の窺い知ることのできない戦国史をこの山家城は物語っているようである。

 山家城の城域は2つに分けることができる。ひとつは西尾根の曲輪群とこの主曲輪を中心とした一帯。もう一つは主曲輪の背後巨大な4条の堀切を経て標高1057mの山頂付近に秋葉神社が祀られたやや大きめの曲輪を中心とした一帯である。

 おそらく当初の山家城は、山頂の秋葉神社の祀られている50m×20mほどの曲輪を中心に築かれたいたのであろうが、天文年間の武田軍の進攻に伴って、切岸を利用して守りやすい標高1000m付近に主曲輪を移すと共に、背後に(旧主曲輪との間)に4条の巨大な堀切を入れるなど改修強化が図られたのではないか。

 なお、山麓の徳運寺は山家郷の地頭であった山家為頼が開創し、雪村友梅の開山と伝えられ、境内には「山家四十騎之碑」が建てられている。この碑の謂われについては未確認。
主曲輪南面の石積み
主曲輪南面の石積み

 城郭の歴史
 山家城は麓の徳雲寺と同時代の鎌倉時代の末期に構築されたと云われるが、以後戦国時代末期までの間、改修を重ね、その規模が拡大複雑化している。

 ことに戦国時代末期には林大城にいた小笠原氏の属城となってから大改修がなされ、山辺谷最深部の要害であったが、天文10年(1542)以降、武田信玄の侵攻により林城と共に落城している。
 現在地名として「大手」、「内城」等が、また土塁、石垣、土壇の跡が残り、貴重な遺構となっている。


山家城をもっと紹介
主曲輪背後(東尾根)の堅堀
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主曲輪背後(東尾根)の堀切2
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主曲輪背後(東尾根)の堀切1
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徳運寺境内にある山家四十騎の碑
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