内山城
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【城郭の概要】
所在地:佐久市内山字城下
別 名 : −
築 城 :戦国時代
初城主:大井美作入道玄岑
区 分 :山城
遺 構 :曲輪,石積み
城 域 :100m×150m
     標高 860m
     比高 80m


主曲輪東尾根の曲輪の一部
主曲輪東尾根の曲輪の一部

【現地への案内】
 国道254号線内山地区、青木入口の交差点から円城寺へ
詳細はコチラ 

【駐車場円城寺の駐車場を利用、約30台
【訪 城】2005年8月
【撮 影】2005年8月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 円城寺の背後の山で境内から山道がついている。約20分ほどで主曲輪に出る。この間に巨石群を見上げながら山道を辿り、志賀城等と同様に山全体が巨大な岩石で構成されていることを知る。主曲輪に出て、改めてこの山の峻険さにびっくりする。円城寺から登ってきた山の西側を除き周囲は断崖絶壁。
 主曲輪を中心にして三方に延びる尾根筋に階段状の曲輪を配した連郭式の曲輪配置で、特に北側尾根の切岸高さは中途半端でない。この尾根筋にも登城道らしきものがあるが、ようやく人が登れる程度で、まさに天然の要害といえる。
 なお、主曲輪から二段下がった曲輪の切岸部に石積みが観られる。

        内山城の縄張り図

【城郭の歴史】
 内山城は永正年間(1504〜1521)に大井美作入道玄岑(げんしん)が築城したと思われる。 その後、天文15年(1546)に武田信玄は佐久の諸城を奪って上原伊賀守呂辰を配した。
 天文17年(1548)、佐久に進入した村上義清の軍としばらく攻防戦が続いたが、信玄自身が諏訪から佐久へ出馬しこれを退けた。
 天正10年(1582)に武田氏が滅亡し、佐久の諸城が次々と徳川の手に帰していく中で、内山城も同11年に家康の麾下依田信蕃らの手によって攻略された。  比高80mにおよぶ断崖上にある城の縄張りは比較的良く保存されており、石塁も各所に残っている。ほぼ三角形をした本丸の北に一段づつ下がって二の丸、三の丸が続き、さらに急斜面に小さく築かれた幾つかの曲輪を経て、堀切、水の手がある。
現地案内板より


武田軍の信濃侵攻

 甲斐武田の信濃進攻は享禄元年(1528)9月武田信虎が諏訪郡へ侵入、諏訪上社の諏訪頼満・頼隆父子と神戸、境川付近で戦ったのを最初とし、天文5年(1536)11月には佐久郡の平賀源心の海ノ口城を攻める。この戦いが初陣だった晴信(後の信玄)は知略で海ノ口城を落とす。
 天文9年(1540)5月には、信虎が佐久郡の城を十数城落とし前山城を築き、天文10年(1541)5月信虎は村上義清、諏訪頼重等と結び海野棟綱を攻め、海野平に海野棟綱を破る。同年6月、晴信は父・信虎を駿河今川家に退隠させ、武田の総帥として信濃攻略に向けて全力を傾けていく。
 この頃の信濃は小笠原長時が守護職として任じられていたが、その勢力は北信濃までは及ばず、北信濃は村上義清を筆頭として豪族が入り乱れ、諸豪族は外敵である信玄に対し、協力して立ち向かっていく。
 天文10年頃から北信濃の諸豪族が村上義清を頼ったことから、諏訪の諏訪頼重に加えて、北信濃の村上義清、中・南信濃の小笠原長時と武田信玄との戦いが本格化する。
 天文11年(1542)信玄は一転して伊那の藤沢頼親,小笠原長時と戦い、天文14年(1545)4月に諏訪頼継の高遠城を攻め落とし、高遠城を拠点にして箕輪城(福与城)の藤沢頼親を攻め、天文15年頃には諏訪を制圧する。
 天文16年(1547)佐久郡・内山城の大井貞清に出仕を促し、大井貞清親子は甲府に出仕したのをきっかけに、8月には佐久郡の志賀城を攻め、笠原清繁を破る。翌天文17年(1548)8月佐久郡の田口城を小山田出羽守に攻めさせ、田口良能に加勢した北信濃の諸豪族をことごとく討ち取り、9月には佐久郡を制圧する。享禄元年(1528)に諏訪に侵攻してから諏訪・佐久郡を制圧したのは、信虎・信玄の2代にわたって実に23年を要した。
 天文20年(1551)3月村上義清、小笠原長時は連合して深志城(松本城)の奪還を図るが、信玄は5月には真田幸隆をもって砥石城を落とす。
 この間、武田軍は天文17年(1548)2月、小県の上田原に村上義清と戦い敗れ、天文19年(1550)9月には小県の砥石城を攻めて敗れる(砥石崩れ)等、村上義清を相手に2度の苦い敗戦を経験するが、天文21年(1552)1月には諏訪頼継を甲府に出仕、自刃させ、4月には村上義清の居城・葛尾城を落とし、5月に桔梗原で小笠原長時を破る。そして8月には村上義清が籠もる塩田城を落とす。その後、村上義清は越後の上杉謙信に援を求め、天文22年(1553)から宿命の対決とされる川中島の戦いへと発展していく。一方、天文23年(1554)、小笠原信貞の鈴岡城を攻略した武田晴信は、伊那をほぼ支配下においた。


管理者・野暮からのご紹介
 “内山城に行かれる際には、併せて以下を廻られたら如何でしょう”

★お城マニア

内山城と併せて廻って欲しいのが志賀城田口城です。これらのお城は巨石で構成された山に築城されており、佐久地方を代表する山城と云えます。

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