伴野館
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【城郭の概要】
所在地:佐久市野沢字居屋敷
別 名 :野沢城
築 城 :鎌倉時代
初城主:伴野六郎時長
区 分 :館
遺 構 :土塁,石積み
城 域 :110m×80m

県指定史跡


館の周囲に巡らされた土塁と堀
館の周囲に巡らされた土塁と堀

【現地への案内】
 国道254号線、佐久大橋の西詰めから2筋目の交差点を左折、100m先
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【駐車場伴野城の東にある薬師寺の駐車場を利用
【訪 城】2005年8月
【撮 影】2005年8月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 伴野館は方形館の周囲に土塁と堀を巡らせた造りで、今も北から東にかけての土塁、および堀の一部が良好な状態で残されており、城山公園として現在も整備工事が進められている。
 市街地と云うこともあり駐車場がない。路上駐車も出来なくはないが、やはりゆっくりと見るにはそれなりの所に止めて見学したいもの。(^^)

【城郭の歴史】
 鎌倉時代の初期、甲斐源氏の加賀美遠光とその子・小笠原長清は信濃守に任ぜられ、佐久の大井,伴野の2庄を領し、長清は6男時長に伴野庄を、7男朝光に大井庄を譲った。
 時長以来、伴野庄に本拠を置いた伴野氏は、室町時代から戦国時代初期に館を本丸として、二の丸,三の丸,出丸などを設け野沢城と云われる規模までに拡大したが、防衛上の必要から戦国時代に伴野館から前山城に本拠を移した。
 伴野城は天正10年(1582)徳川家康の麾下依田信蕃の一族である依田肥前守らによって攻略、破壊された。天正年間(1573〜92)の末に松平康国(依田信蕃の子)の跡を受けて小諸に入城した千石氏は、ここに米倉を建てて年貢米の貯蔵所とし、佐久の大部分が幕領に移ると、一時はここに代官の陣屋が置かれるなど、江戸時代以降も終始公的な機関によって利用された。

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