鈴岡城
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【城郭の概要】
所在地:飯田市駄科
別 名 : −
築 城 :室町時代か
初城主:小笠原氏
区 分 :平山城
遺 構 :横堀
城 域 :600m×300m

県指定史跡

横堀
横堀の一部

【現地への案内】
駄科南平信号を北へ約1km
詳細位置はコチラ 

【駐車場専用駐車場約10台
【訪 城】2002年8月
【撮 影】2002年8月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 鈴岡城は松尾城と共に松尾鈴岡公園として整備されており、鈴岡城の横まで車で乗り付けることが出来る。車を降りて数十mも歩くと外郭を取りまく横堀に出る。各曲輪周囲に巡らされた堀は幅も広い上に、深く実戦向きである。
横堀主体の城で、福与城(箕輪町)や春日城(伊那市)等と、その築城思想に共通性を感じさせる。曲輪の一部は果樹園として利用されているが、見て回る分には支障はない。
 城の北側は毛賀沢川に落ち込み、南側も渓谷となって、自然地形を巧みに利用して築城されている。

【城郭の歴史】
 この城跡は、飯田市駄科の西北部にある段丘の東突端、標高490mにあり、自然の地形を巧みに利用して構築された平山城跡で、いくつかの空堀で区切られた本丸、二の丸、出丸、および二つの外郭並びに西方高地にある遠見原の要害からなっている。
 築城は小笠原貞宗の第二子宗政が松尾家から分家して鈴岡家をはじめた頃と云われている。宗政は貞和元年(1345)天竜寺供養の際随兵を勤めているが、子孫は判明していない。
 築城以来、松尾,鈴岡,深志の小笠原三家の間において、しばしば不運な争いが起こり、消長を重ねたが、天文23年(1554)8月武田晴信(信玄)の伊奈進攻により松尾城の支城となり、天正18年(1590)廃城となった。鈴岡小笠原家は一時的には宗家の松尾小笠原家に代わって南伊奈を治めているが、同家の居城であった。
 この城跡は幾多の興亡の歴史を秘めて、ほぼ原形に近い形で保存されており、中世の南信濃における平山城の遺構を探る上で貴重な城跡である。
長野県教育委員会  現地案内板より


武田軍の信濃侵攻

 甲斐武田の信濃進攻は享禄元年(1528)9月武田信虎が諏訪郡へ侵入、諏訪上社の諏訪頼満・頼隆父子と神戸、境川付近で戦ったのを最初とし、天文5年(1536)11月には佐久郡の平賀源心の海ノ口城を攻める。この戦いが初陣だった晴信(後の信玄)は知略で海ニ口城を落とす。
 天文9年(1540)5月には、信虎が佐久郡の城を十数城落とし前山城を築き、天文10年(1541)5月信虎は村上義清、諏訪頼重等と結び海野棟綱を攻め、海野平に海野棟綱を破る。同年6月、晴信は父・信虎を駿河今川家に退隠させ、武田の総帥として信濃攻略に向けて全力を傾けていく。
 この頃の信濃は小笠原長時が守護職として任じられていたが、その勢力は北信濃までは及ばず、北信濃は村上義清を筆頭として豪族が入り乱れ、諸豪族は外敵である信玄に対し、協力して立ち向かっていく。
 天文10年頃から北信濃の諸豪族が村上義清を頼ったことから、諏訪の諏訪頼重に加えて、北信濃の村上義清、中・南信濃の小笠原長時と武田信玄との戦いが本格化する。
 天文11年(1542)信玄は一転して伊那の藤沢頼親,小笠原長時と戦い、天文14年(1545)4月に諏訪頼継の高遠城を攻め落とし、高遠城を拠点にして箕輪城(福与城)の藤沢頼親を攻め、天文15年頃には諏訪を制圧する。
 天文16年(1547)佐久郡・内山城の大井貞清に出仕を促し、大井貞清親子は甲府に出仕したのをきっかけに、8月には佐久郡の志賀城を攻め、笠原清繁を破る。翌天文17年(1548)8月佐久郡の田口城を小山田出羽守に攻めさせ、田口良能に加勢した北信濃の諸豪族をことごとく討ち取り、9月には佐久郡を制圧する。享禄元年(1528)に諏訪に侵攻してから諏訪・佐久郡を制圧したのは、信虎・信玄の2代にわたって実に23年を要した。
 天文20年(1551)3月村上義清、小笠原長時は連合して深志城(松本城)の奪還を図るが、信玄は5月には真田幸隆をもって砥石城を落とす。
 この間、武田軍は天文17年(1548)2月、小県の上田原に村上義清と戦い敗れ、天文19年(1550)9月には小県の砥石城を攻めて敗れる(砥石崩れ)等、村上義清を相手に2度の苦い敗戦を経験するが、天文21年(1552)1月には諏訪頼継を甲府に出仕、自刃させ、4月には村上義清の居城・葛尾城を落とし、5月に桔梗原で小笠原長時を破る。そして8月には村上義清が籠もる塩田城を落とす。その後、村上義清は越後の上杉謙信に援を求め、天文22年(1553)から宿命の対決とされる川中島の戦いへと発展していく。一方、天文23年(1554)、小笠原信貞の鈴岡城を攻略した武田晴信は、伊那をほぼ支配下においた。

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