館之内仁科氏居館
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【城郭の概要】
所在地:大町市社館之内
別 名 : −
築 城 : −
初城主:仁科氏
区 分 :館
遺 構 : −
城 域 :約100m×200m
     標高 824m
     比高 110m



館之内公民館前
館之内公民館前

【現地への案内】
国道147号線旭町の信号から県道51号線へ、館之内公民館へ
詳細位置はコチラ 
 多分この辺り(^^;
【駐車場路上駐車
【訪 城】2004年10月
【撮 影】2004年10月

評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 仁科氏居館跡を示す案内板が堀之内公民館の前に建っているが、どの辺りかは定かではない、館域は公民館の背後の住宅地も含めたいたと考えられる。
 公民館の前の田圃とは約2〜3mほどの高低差があり、この田圃が堀跡ではないかと推測するのが関の山である。(^^)

【城郭の歴史】
 天文年間(1532〜1554)北信濃に進出した武田信玄と村上義清,上杉謙信との戦いの中で、仁科盛政も武田軍に従軍して佐久、小県地方に転戦したが、留守居役の家臣達が上杉謙信の誘いにより天正寺館、館之内、森城にて武田氏に反旗を翻したことによって、仁科盛政は甲斐にて殺され、500年にわたって続いた安曇地方の名族仁科氏は滅ぶ。
その後、信玄は安曇地方を押さえるため、五男・春清に仁科家の跡目を継がせ、仁科五郎盛信と名乗らせた。
 仁科頃盛信は天正10年、高遠城を織田信長,信忠に攻められ壮絶な最期を遂げたその人である。
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 この地は信濃で最も息の長かった豪族・仁科氏の「居館跡」です。館の四至は北辺126m、南辺189m、南北261mの梯子形で、広大な高瀬川の河岸段丘上に、ほぼ4郭〜5郭に分かれています。
 仁科氏の祖は大和朝廷直系の古代民族・安倍氏、「記紀」によると今から1500年以上の古代。大彦命と共に東征した現新潟県能生町付近から信越国境の「三坂峠」(現小谷村)を越え、まず、木崎湖北東の海之口に駐留、機を見て木崎湖を天然の要害とし、同湖の西南に守りの砦「森城」を構え、四至を固めました。
 森城で力を蓄えた仁科氏は、以来、仁科御厨(伊勢神宮内宮領)を預かり、ここ館之内に館を構えました。さらに荘園を開発し、伊勢神宮に寄進して、その荘官となり、前後7世期間以上に亘って中世の大町を治めました。
 国宝仁科神明宮を伊勢から勧進、覚音寺(八坂村)に国宝千手観音を施入するなど、京都の文化を飽かず、この地に移入するために精魂を傾け進取の気概に満ちた先哲、それが仁科氏です。
 続いて仁科氏は鎌倉時代に入ると、現大町市街地の天正院の地に居館を設け、疎水、開田、街区設定など今日の大町市の都市計画に先鞭をつけた唯一無二の名族として市民から尊崇されています。大町は仁科氏の里の名で知られ、「館之内」とは「館の内」に意から付けたれた古名です。
現地案内板より
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