小岩嶽城
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【城郭の概要】
所在地:南安曇郡穂高町有明嵩下
別 名 : −
築 城 :戦国時代(16世紀)
初城主:仁科氏
区 分 :山城
遺 構 :空堀
城 域 :200m×50m
     標高 680m
     比高 80m



空堀の一部
空堀の一部

【現地への案内】
国道147号線穂高の信号を西入る、県道308号線に入り夢穂高美術館前を500m北
詳細位置はコチラ 

【駐車場専用駐車場に20台
【訪 城】2002年9月
【撮 影】2002年9月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 高原の丘陵地帯に築城されている。広く、なだらかな斜面に城門を中心として方形の大きな曲輪が階段に配置されており、寺院の宿坊を思わせる。
縄張り図

主曲輪以外は削平は不完全である。
南側には約50mにわたって空堀が配され、堀の深さは深いところで4〜5mにも及ぶ。また、更に南側には深い谷を掘り代わりに利用して、南側の防御意識が高い。
主曲輪の切岸には石積みがみられる。

【城郭の歴史】
 当城は中世の古厩郷の領主・古厩氏の宿城と考えられ、城域は今の小岩岳集落も含めた広範囲とされ、現在も集落内には空堀の一部と地割りがみられます。また、本郭は1平方キロメートル、南北135m,東西40m、北に天満沢、南に富士尾沢と空堀を控えた自然の要害です。
全面に三段の郭、山頂に至る間に幾つかの帯郭、堀切を設け水源もあり矢竹も自生し、峯の物見は安曇野を一望に収める有名な山城です。
 高白斎記によると、天文20年(1551)10月27日武田晴信の軍勢に攻められ放火されました。翌天文21年8月12日の激戦で城主は自害し、8月14日落城しました。この時の戦いの様子は勝山記(妙法寺記巽事ナシ)に「討ち取る頸500余人、足弱(婦女子・老人のこと)取ルコトヲ知ラズ」と悲運な最期が記されています。  
穂高町教育委員会

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