岩原城
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【城郭の概要】
所在地:南安曇郡堀金村須砂渡字古城山
別 名 : −
築 城 :戦国時代
初城主:堀金氏
区 分 :山城
遺 構 :竪堀,土塁,堀切
城 域 : −
     標高 950m
     比高 230m(堀金霊園から)



主曲輪背後の堀切

【現地への案内】
国道147号線新田の信号を西入る、堀金霊園
詳細位置はコチラ 

【駐車場堀金霊園駐車場を利用約30台可
【訪 城】2004年5月
【撮 影】2004年5月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★★
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★★
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 登城ルートは幾つかあるようである。ひとつは堀金霊園の前(安楽寺山門跡)の尾根から詰めるルート(以下ルート1)、もう一つは堀金霊園の北側の尾根から登り、立岩山権現岩(雨乞いの岩)を経て尾根沿いに登るルートである。(以下ルート2)
登り易さから云えば、北側尾根から城域に入るルート2のほうが道らしき道があり比較的登り易い。しかし、お勧は急斜面の支尾根に築かれた小曲輪を経て主尾根の曲輪群に出るルート1である。このルートは、この城の要害性と特徴をはっきりと認識できる。
 どちらのルートを選択するにしても、幾つもの支尾根があり、尾根を間違え易いので注意を要する。その対策の一つとして、堀金霊園から岩原城の位置を確認しておく方が良い、岩原城は堀金霊園から真正面の山(位置的には北西にあたり、方位では290度)である。
 ルート1の目印は堀金霊園の北側の巨大な堅堀状の谷に沿って登ること、ルート2は、同じく堀金霊園の北側の巨大な堅堀状の谷を越えて、斜面にとりつくことである。いずれにしても、山自体がなかり急峻で息が上がることは間違いない。(^^)

 さて、ここからは岩原城の攻城記であるが、私のお薦めのルート1を紹介するので、参考にしていただきたい。
 昨日の午後から降り始めた雨は止んではいるが、空は曇り空。時折時雨の天候の中、堀金霊園に車を置き、半ば途中撤退も頭に入れながら、雨に濡れたブッシュをかき分け尾根筋を登り出す。
斜度の急なこの尾根筋には幅5m、長さ10mほどの半円形の小曲輪(大きなもので幅10m、長さ15m)が延々と20箇所以上も続く。この間の切岸高さがそれぞれ5m前後あり、斜度が急なことも含め、山城攻めと云えども、それなりの覚悟が必要。(^^)
尾根を登り切ると比較的大きな曲輪に出る、この曲輪の北側は二重の堀切で尾根を遮断しており、ここから山頂にかけて岩原城の中核部となる。
山頂を目指して尾根の南側を登ると、10箇所ほどの曲輪を経て山頂の主曲輪下に出るが、主曲輪に登る斜面がまた中途半端ではない。(^^)
主曲輪は東西15m、南北20mほどの広さで周囲は絶壁、標高950mの山頂に「浮かぶ曲輪」と云った表現をすれば分かりやすい。この間、堀金霊園からは約45分、比高差は約230m。
 主曲輪背後(南側)には3本の堀切を配している。特に1本目の堀切は、斜度が急なうえ、深さは15mはあろうあかという巨大な堀切で、度肝を抜かれる。登ってくるだけでも大変な要害地形の山城に、果たしてこのような巨大な堀切が必要だったのだろうかと感じた。その答えの一つが、山に囲まれた信濃においては、山の高さに対する感覚が我々とは違っているのではないだろうか。こうした感覚の違いは鴨ヶ嶽城(中野市)や平沢城(木島平村)からも感じ取れる。

【城郭の歴史】
 岩原城に関しての記録はなく、詳細は不明であるが、室町時代に細萱氏築いたものを天文年間(1531〜1555)に仁科小岩嶽氏の一族が、堀金氏を称して継続使用したものと考えられている。
 
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