信濃 飯島城
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 城郭の概要
所在地:上伊那郡飯島町本郷
別 名 : −
築 城 :寿永3年(1184)
初城主:飯島氏
区 分 :山城
遺 構 :土塁,堀切,堅堀
城 域 :800m×400m
      標高 490〜620m
      比高 130m(城山から本城まで)

 現地への案内

国道153号線、子生沢橋の北

詳細位置はコチラ 
 本城 


 城山 
 駐車場
空地を利用

【訪 城】2008年10月
【撮 影】2008年10月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り








陣の垣外の大空堀
陣の垣外の大空堀

 現地の状況
 飯島城は天竜川の右岸にあって、南に子生沢川、北には相の沢川に挟まれた台地から天竜川の河岸段丘まで比高差にして約130m、その広さは東西800m、南北400mと広大な城域をもつ城である。

その地形からは城域は2つに分けることができる。一つは国道153号線が分断して通る河岸段丘の城域で、これを「城山」と称し、もう一つは国道153号線から西に見える比高70〜80mの台地上にある城域で、これを「本城」と称している。

 城山は国道の西、果樹園と “陣の垣外” の大空堀に始まり、東約300mの城山までで、現在は農地であるがほぼ中央部に空掘が残されている。また東端には大堀切を介して城山(主曲輪)がおかれ、背後は天竜川の崖状斜面である。

 本城は比高差70〜80mを登った台地上にあり、急斜度の斜面を登ると100m×70mの曲輪に至る。北西隅には土塁で虎口を形成、虎口前には空掘、土橋が配されている。
 曲輪の北側は自然谷、南は子生沢川と地形を巧みに利用した縄張りである。かっては曲輪の北西側には二重の空堀に守られた馬出曲輪があったとされるが、消失して現在は農地となっている。

 飯島城がこのような広い城域になったのは、天文11年(1542)武田信玄が伊那に攻め込んだ頃から、天正10年(1582)までの間に度々改修が加えられたためと考えられる。

飯島城の縄張り
飯島城の縄張り


城山(右手)と大堀切
城山(右手)と大堀切

 城郭の歴史
 飯島城は片切氏の分流である飯島氏の城と考えられている。
 天文21年(1552)武田信玄は村上義清が籠もる塩田城を落とし、村上義清を北信から追い払うと、天文23年(1554)には伊那に攻め込んだ。

 この時、飯島氏は小笠原信貞(信定)に従っていたが、小笠原の居城・鈴岡城松尾城が落城するに及んで武田氏に従った。

 天正10年、織田信長による武田征伐の際、飯島民部少輔、小太郎父子は、大島城に入ったが、伊那に攻め攻め込んだ織田信忠軍によって大島城は落城。その後、仁科五郎盛信が守る高遠城に入り、仁科五郎盛信等と共に討ち死にした。
 織田氏が伊那を支配した後、飯島城は廃城となったと考えられる。

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城山の空堀
城山の空堀


本城の虎口
本城の虎口
城山から本城を遠望
城山から本城を遠望


本城虎口前の空堀
本城虎口前の空堀

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