飯田城
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【城郭の概要】
所在地:飯田市追手町
別 名 :三本杉長姫城,六本杉長姫城
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平山城
遺 構 :門,石垣
城 域 :600m×250m

水の手門の石垣
水の手門(搦手)の石垣

【現地への案内】
国道153号線永代橋信号を西、追手町県合同庁舎
詳細はコチラ 

【駐車場なし
【訪 城】記録がなく不明
【撮 影】記録がなく不明


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 飯田城は東に天竜川が流れ、南北を天竜川の支流である松川と野底川が流れる河岸段丘上に築城され、西側の丘陵地を大手に開き、城を築くには最適の要害地形である。
飯田城桜丸の移築門(通称赤門)
桜丸の移築門

当時は、段丘の東端に山伏丸を築き、本丸,二の丸,三の丸と連郭式の曲輪配置としていたが、現在では山伏丸には天空の城ホテル、本丸には長姫神社、二の丸には美術館、三の丸には県庁舎と小学校が建てられている。

 三の丸にあった桜丸の門(通称赤門 飯田市有形文化財)が県庁舎前に移築されて残されている。また、水の手門(搦手)の石垣が長姫神社西側の細い路地に残ってる。
 飯田城からは少し外れるが、羽根庄の八間門として飯田城初期の大手門(二の丸門)が飯田市松尾に移築され、木下家の門として今でも使われている。当時はもっと大きかったものを移築の際に小さくしたというが、非常に見事な門である。
木下家にある大手門
移築された大手門

【城郭の歴史】
 武田氏の伊那攻略により、下伊那における武田氏の中核をなす城となり、天正10年の織田軍の武田攻めの後、織田氏の城となる。その後徳川に移り、関ヶ原の戦い以後、小笠原秀政,脇坂氏,堀氏と城主が変わり明治に至り、明治4年(1871)の廃藩置県に伴って廃城となる。
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