林城
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【城郭の概要】
所在地:松本市大字里山辺
別 名 :林大城,林小城,金華山城,福山城
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :石垣,土塁,空堀
城 域 :49m×21m
     標高 852m

県指定史跡

林城の曲輪と切岸
曲輪と切岸

【現地への案内】
県道67号線(松本和田線)から、入山辺公民館を目当てに
詳細位置はコチラ 

【駐車場空地を利用
【訪 城】2002年9月
【撮 影】2002年9月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 林城は松本市の南東、松本盆地を形成する筑摩山系の先端にあり、松本盆地を見下ろすことの出来る要地にあり、建武年中(1334)信濃守護職小笠原貞宗が府中に井川館を設けて以来、長時が武田晴信に敗れて信濃を退去する天文19年(1550)までの約200年間にわたって小笠原氏が本拠とした城である。

 この林城は、大蒿崎(おおつき)の谷を隔てた南西の方角に林城を築き、大城(金華山城),小城(福山城)が呼応して機能していたと考えられている。

 山頂から北東に延びる尾根上に二つの曲輪を連郭式に配した簡単な造りで、山頂の主曲輪周囲には土塁を巡らしている。この土塁の内法には石積みも観られ、16世紀中期における信濃の築城技術として興味深い。また曲輪間、あるいは城域端はきっちりと堀切を入れて処理されている。

 北東、あるいは南西に延びる尾根には堀切,堅堀を設けているとのことであるが、訪れた時は草深く断念した。
 林城へは林道を車でも上がれ、駐車スペースもある。麓に車を置いて歩いても約15分で登れる。

【城郭の歴史】
 南北朝騒乱時の功績により信濃守護となって府中(当時の松本の呼称)に入った小笠原氏は、戦国時代に武田晴信が信濃に侵攻するまでの間、筑摩郡および安曇,伊那地域を中心に勢力を張った。その間、小笠原氏は平地の城館である井川城と山城の林城を根拠地として、四周に順次山城群を配置して強固な防衛戦を備えた。

 筑摩山系の西側に突きだした尾根に構築された林城と一括される大城と小城は間に大高崎集落を挟んで連立し、林城の東に深く入り込む山辺の谷には埴原城山家城を配して、小県佐久間地域に備え、北方は伊深城,犬甘城平瀬城等を配して固め、諏訪伊那地域に通ずる南方の要には埴原城を構えるほか、筑摩山地の西面の各所に砦を築いて一帯は大要塞群をなしていた。

 その後、それぞれの城は武田氏により、修築が行われたものと思われるが、竪堀の構造、配置など小笠原氏の山城に特徴的な基本構造は今日までよくその姿を留めており、これらの城塞群は、小笠原氏の興亡を語る貴重な史跡である。
現地案内板より
【補足】
 天文19年(1550年)甲斐の武田信玄が信濃に攻め込んだ時に、支城の井川城・深志城・伊深城などとともに林城も落城した。

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