
【現地への案内】
国道20号線諏訪1・2の信号から県道50号線に入り西へ、中央自動車道を越えてすぐ
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【駐車場】県道50号線待避所に10台ほど駐車可
【訪 城】2005年8月
【撮 影】2005年8月

評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
選地 |
★★☆ |
縄張り |
★★☆ |
普請 |
★★☆ |
体力消耗度 |
★★☆ |
お勧め度 |
★★★ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
有賀城は諏訪と伊奈を結ぶ街道沿いにあり、有賀峠を控えて諏訪盆地を見おろす位置にある。
有賀城入口の冠木門
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県道50号線脇から冠木門をくぐって、山中に入り10分足らずで主曲輪南側の大堀切に出る。大堀切の南に小曲輪を二つ連ね、曲輪間には堀切と竪堀を配している。
大堀切の北側には主曲輪(20m×37m)を置き、主曲輪から延びる北西尾根と北東の尾根に曲輪を階段状に配置しているが、北西尾根の曲輪は規模も大きく、防御の要としている。主曲輪と北西尾根の二の曲輪(縄張り図の2)間には横堀を入れ、竪堀と連結している点、および主曲輪、および二の曲輪では、堀と土塁をセットにして使っている点は注目される。
曲輪の削平状態も良い上、堀切や竪堀などの規模も大きく、中世山城が好きな者にとってはこたえられない1城である。また、北方に開けた眺望は諏訪湖を一望することができ、景色を楽しめる。
主曲輪南側の堀切
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【城郭の歴史】
代々、有賀の地を領有していた有賀氏は、天文11年(1542)諏訪頼重を裏切り、武田信玄に与した高遠頼継と共に武田氏に味方して諏訪頼重と戦ったが、天文15年(1546)有賀豊後守泰時が木曽義昌と通じたことで武田信玄に滅ぼされ、原美濃守虎胤が城主として入った。 天文18年には有賀の地は千野靱負尉に与えられ、慶長6年(16001)からは千野丹波守房清が入った。有賀城の麓にある江音寺は千野家の菩提寺となっている。
二の曲輪と土塁
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主曲輪の土塁
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