赤須城
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【城郭の概要】
所在地:駒ヶ根市赤穂南下平
別 名 : −
築 城 : −
初城主:赤須氏
区 分 :平城
遺 構 :横堀,土塁,堀切
城 域 : −
     標高 −
     比高 −
市指定史跡

空堀
曲輪周囲に巡らされた空堀の一部

【現地への案内】
国道153号線本町の信号を東入る、県道49号線を東に4km、下平口の信号を約1km、小さな坂を登りきった所から西に入り、段丘を登りきる。長春寺背後の段丘。
詳細位置はコチラ 

【駐車場城址公園駐車場を利用 約10台可
【訪 城】2003年5月
【撮 影】2003年5月


評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

【現地の状況】
 駒ヶ根市の東方天竜川の右岸に形成された河岸段丘上に築城され、主曲輪の背後、天竜川沿いからの備えに外郭を設け、搦手の備えとし、大手を西の段丘状台地に開いている。

 外郭は笹薮が密生しているが、笹薮を抜けると尾根があり、堀切が切られている。主郭はマレットゴルフ場に使用されているが西側には土塁と空堀が残っている。

 主郭と主郭前面の二の曲輪、および出郭は道路によって寸断された上、畑地となり曲輪や堀も一部を残すのみであるが、北側の添郭周囲空堀や、**郭(名前を忘れた)西側の三重の空堀は圧巻である。

 かくも見事な空堀が残っているにも係わらず、虎口が消失してしまっているのは、如何にも残念である。横堀は残っているのだけでも6本を数え、相当の規模をもった城郭であったことが窺い知れる。
縄張り図
赤須城の縄張り図

【城郭の歴史】
 赤須城跡は南は宮沢川の侵食による自然の堀、北方は田沢川の深い谷で遮断され、東は峻立急斜面という自然の地形を巧みに利用した要害の地で、東西900m、南北400mの範囲と推定される。段丘突端に外城、西へ本郭、二の郭、出郭、添郭などがあり、これらの間を走る数条の堀が設けられた連郭式の平山城である。

南北朝時代、舟山城(松川町)を拠点に発展した片桐氏の分流で片桐孫三郎為幸がこの地に居城を構え、赤須氏を称したとされる。
 天正10年(1582)織田軍の兵が伊那谷に侵入したとき、この城も武田支配下の高遠城福与城(箕輪城)等の諸城と共に滅び、以後影響力を失った。
駒ヶ根市教育委員会

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