田矢伊予守城
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【城郭の概要】
所在地:阿山郡阿山町川合字城
別 名 : −
築 城 :室町時代
初城主:田矢伊予守
区 分 :丘城
遺 構 :土塁,堀切
城 域 :150m×100m
     標高246m
     比高50m程度


田矢伊予守城の主曲輪

【現地への案内】
 上川合の信号西入る阿山ハイツの北西700mの山
【駐車場道路脇の空き地に駐車、6〜7台程度可
【訪 城】2002年11月
【撮 影】2002年11月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
  川合地区の阿山ハイツを左手見ながら坂道を登りきった正面の丘の山頂付近に築かれている。廃寺となった引接寺の裏山であるから、引接寺を訊ねる方が分かりやすい。
 登りだして5分ほどで社が祀られている山頂に着く。15m×15mほどの小さな削平地の周囲北〜西〜南に高さ1mほどの土塁が築かれている。
縄張り図を片手に北尾根斜面の遺構を探すが、削平不完全な斜面があるだけで、天正期の遺構とは言い難い。竹藪をかき分けて東尾根も探すが、櫓台らしきものはあるが、ここも遺構とは言い難い。
山道を造るために切り開かれた反対側の斜面を登り50mほど尾根を登ると、深さ3〜4m、頂部幅5mほどの薬研に掘られた堀切があった。
 雑木と竹藪の中を歩き回ったが、遺構と断定できるものは社が祀られている削平地の土塁と堀切だけで、それ以外の削平地などは削平不完全で、天正期というよりも南北朝の遺構といった感じを受けた。
北側尾根には周囲を土塁に囲まれた曲輪があるようであるが、結局確認できなかった。
 田矢伊予守城の東500m付近の丘陵にも三蓋山城があるが、この日4つの城攻めの疲れと薄暮、時間切れのため、田矢伊予守城と共に再度の攻城を期して帰路についた。(^^)

【城郭の歴史】
 天正9年(1582)織田信長による伊賀侵攻(天正伊賀の乱)の際、玉滝口より攻め入った蒲生氏郷、脇坂安治の軍に対し、城主の田矢(屋)氏を始め、河内地区の土豪が立て籠もり戦った城とされる。正面の丘陵には堅固な土塁を巡らした主郭を中心に南北350mにわたり削平地や堀切が残る。

 「信長公記」によると田矢氏は「名誉の壺」を信長に送り降伏したとあり、また別に田矢氏を討ち取ったとも記している。
阿山町教育委員会 現地案内板より

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