百地丹波城
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【城郭の概要】
所在地:上野市喰代(ほおじろ)字城谷
別 名 :百地砦
築 城 :室町時代
初城主:百地丹波守
区 分 :丘城
遺 構 :土塁,空堀,堀切
城 域 :300m×80m
     標高 271m
     比高 16m


堀切
主曲輪東側の堀切
車
【現地への案内】
 国道163号線宮ノ前の信号を南入る、約2km
【駐車場路上駐車
【訪 城】2002年11月
【撮 影】2002年11月
メモ
評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 喰代地区に入って、百地丹波城を訊ねたところ、すぐに教えて頂けた。喰代地区では百地丹波城はそれなりに知名度があるらしい。(^^)
それでも分からない場合は青雲寺を訊ねると良い、青雲寺も百地城の一画に建てられている。
道路脇の空き地に車を止め、青雲寺の前を通って城域にはいると、すぐにでっかい横堀が目に入る。自然地形の谷を利用して造られているが、なかなか見事な堀である。田圃のあぜ道(元々は土橋か)を通って堀を越えると式部塚がある。
 主曲輪は周囲に土塁を巡らしているが、東側の土塁は分厚く高い。巨大な壁といった表現が当てはまる。
それに対して南側の土塁は低く、開口している。
虎口は東と北側にあり、東側には堀切を経て、曲輪が3段にわたって築かれているが、下草が刈られているのは1段だけで、あとの曲輪は入ることすら出来ない。
      縄張り図
【城郭の歴史】
 百地氏は伊賀流忍者、百地丹波守が有名ですが、史実としてはほとんど分かっていません。しかし、天文13年(1544)の史料に「喰代もゝ地殿」と見えることから、戦国時代には北伊賀地域の有力な土豪として知られていたようです。
 百地氏城跡に代表される土塁や堀で防御施設を設けた中世城館跡は市内に250ヶ所あります。その中でも喰代・蓮池地区は中世城館が多く分布する地域で周囲には安場氏館跡や奥氏城跡。上山氏館跡など14ヶ所の中世城館跡が確認されています。
 この城跡は丘陵の尾根を利用してつくられたもので、最も山寄りの郭から現在の青雲寺まで含めると、長さ250m、幅は最も広いところで60mで、市内でも有数の規模となります。城跡の構造は尾根を削平して造った郭を連ねたように配置したもので4つの郭が段々に形成されています。この中で郭Cは70m×40mと最も大きく、四方に土塁を築いているほか南側に自然地形を利用した堀、東側には堀切があります。
また周囲に郭Cを防御するための郭を設けたり、進入路を屈曲させるなど防御の工夫を凝らしていることから、百地氏城跡の中心部分(主郭)と考えられます。
 主郭を巡る土塁は北側。西側。東側の土塁は崩れが著しく、工事により保護されています。南側の土塁は一部がなく、また他の土塁と比べて低いことから当時は塀があったのかもしれません。東側の土塁は主郭の中でも最も高く、土塁の上の幅が広くなっていることから、かっては見張り台のようなものがあったと考えられます。また、主郭内には幅1m余りの溝があります。これは当時郭内を区画した痕跡と考えられます。
上野市・上野教育委員会 現地案内板より

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