大久保城
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【城郭の概要】
所在地:鈴鹿市大久保町字中瀬古
別 名 : −
築 城 : −
初城主:大久保伊豆守
区 分 :平城
遺 構 :土塁,空掘
城 域 :90m×80m


標高 190m


曲輪虎口部と馬乗り台と称される石

【現地への案内】
関町から県道11号線に入り約5km大久保地区法雲寺の北隣
詳細はコチラ 

【駐車場空地を利用
【訪 城】2005年4月
【撮 影】2005年4月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 南北60m、東西40mの曲輪の周囲に土塁と空掘を巡らしていたのであろうが、北側は土塁,空掘とも取り崩されている。東側の土塁は二重で、内側の高さ2〜2.5mほどの土塁で平虎口を形成している。また、この虎口とは位置を少しずらした形で外周土塁にも平虎口らしき痕跡が認められる。これが虎口だとすれば、珍しい形の食い違い虎口となる。南側には二重の空掘が配され、もし完存していれば興味深い縄張りだと思われるが、実に惜しい限りである。
曲輪内部

 大久保城の南側は真宗高田派の法雲寺で、南方2kmにある小岐須城といい、真宗高田派と城郭との繋がりが深かったことが窺える。この辺りには真宗高田派の寺が10ヶ寺あるという。
 なお、内側虎口に大きな石が置かれているが、この石が「殿様の馬乗り台」と伝わる石である。

【城郭の歴史】
 大久保城に居城した大久保伊豆守は、天正10年(1583)織田信長の三男で関一族の神戸家を継いだ三七郎(神戸信孝)と兄信雄の対立に際し、神戸信孝に従い、岐阜で討ち死にし、城は廃城となった。伊豆守の息子覚兵衛・権太夫はそれぞれ京極家、池田家に仕えたという。

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