長島城
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【城郭の概要】
所在地:桑名郡長島町西外面
別 名 : −
築 城 :寛元3年(1245)
初城主:藤原道家
区 分 :平城
遺 構 :堀
城 域 : −

長島城の大手門
蓮生寺に残る大手門

【現地への案内】
国道1号線長島橋を西入る
詳細はコチラ 

【駐車場長島中学校の空地を利用
【訪 城】2003年11月
【撮 影】2003年11月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★★
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)





【現地の状況】
 長島城は現在の長島中学校,長島中部小学校一帯であるが、東側の堀がその名残を留めている。また又木の蓮生寺に大手門が移築され残っている。殿名の深行寺には書院が移築されて本堂として残っていたが、平成元年に新築に伴い取り壊された
また西川の信行寺には長島城の四足門があったとされるが、昭和34年の伊勢湾台風で流失した。

【蓮生寺山門】
 この山門は第11世賢道の代の明治9年(1876)に蓮生寺が長島城大手門の払い下げを受け、同時の山門として移築したものである。旧大手門よりも縮小されてはいるが瓦に増山氏のの家紋がそのまま残されており、長島城最後の建造物として、なおその面影を留めている。
長島町指定文化財  現地案内板より

【城郭の歴史】
 長島城は木曽三川で囲まれたデルタ地帯でにあり、織田信長の家臣である太田牛一が書いた信長記の中にも、「そもそも、尾張国河内長島と申すは隠れ無き節所(せっしょ)なり、濃州より流れ出づる川余多(あまた)有。云々」と書かれており、中州に位置する長島はまさに四方を難所に囲まれた難攻の地であったことが窺い知れる。しかし、現在の木曽三川の流域はかなり変わっており、願証寺などは川の中に沈んでしまっている。
 長島城はこうした地形を利用して文明年間(1469〜1485)に伊藤重晴が城を構えたことに始まり、永禄4年(1561)には服部左京進友定が北畠氏に属し改修したとも云われる。その後、織田信長の美濃進攻に伴い、あるいは石山本願寺が画策する信長包囲網によって、長島城の戦略的な重要性は高まり度々戦いが行われる。
 永録10年(1567)信長に稲葉山城を追われた斉藤龍興が長島に入ると、信長はすぐさま北伊勢攻めを行い、永禄12年(1569)には北伊勢を制圧する。この時信長は二男・信雄を北畠氏の養子として入れ家督を継がせる。
 元亀元年(1570)姉川の戦いで浅井・朝倉軍を破った信長に対し、本願寺11世法主顕如が各地の本願寺の末寺に対し檄文を飛ばし対信長戦争への宣言布告が行われる。この檄文には、「若し、無沙汰の輩は、長く門徒たるべからず候也」、つまり、“本願寺に協力しない者は浄土宗の門徒を破門する”として、門徒衆に対し信長戦争への働きかけをする。顕如の檄文に呼応して長島願証寺を中心とした一揆衆によって攻められ長島城は落城。尾張堀江城も一揆衆に攻められ、信長の弟・織田信興が自刃。一揆衆によって肉親を殺された信長は、元亀2年(1571)に第1次長島攻めを行う。翌元亀3年(1572)には本願寺と休戦するが、顕如はこの時期に門徒衆に命じて岐阜城の周辺に要害を築き街道を遮断する。
 天正元年(1573)9月小谷城で浅井氏を滅ぼした信長は、返す刀で第2次長島攻めを行い、桑名周辺の諸城を攻め落とすも、美濃への帰国途中に一揆勢の攻撃を受け、林新次郎等の家臣が討死。
 伊勢長島一向一揆衆の殲滅に執念を燃やす信長は、天正2年(1574)7月嫡男信忠と共に7万という空前の大軍をもって第3次長島攻めを開始。7月13日には信長自身も出陣し、津島に陣取り圧倒的な軍事力で、まえの島,たろと島,市江島,鯏浦等の諸砦を焼き払う。これに対し、一揆衆は篠橋,大鳥居,屋長島,中江,長島城に分かれて対抗するが、信長は海上封鎖をすると共に兵糧攻めを行い、8月3日には大鳥居城、12日には篠橋城を落とす。これらの城に籠城していた一揆衆は長島城に追い込まれ、9月29日には一揆衆の最後の砦である長島城も落城。一揆勢を全滅させた長島城には滝川一益を入れ北伊勢5郡を与えた。
 天正10年(1582)本能寺で信長が明智光秀に討たれると、上野にあって関東管領を任されていた滝川一益は神流川の戦いで北条氏直に敗れ関東を追われて長島城に入る。天正11年清洲会議以後、滝川一益は越前北之庄の柴田勝家,岐阜城の織田信孝と共に秀吉に対し共同戦線を張るも、天正11年2月勝家が雪で越前を動けない時期に近江多賀町からの五僧峠越え,鞍掛峠越え、そして,安楽越えの三方から北伊勢に攻め込まれ亀山城峯城と共に長島城は落城。 その後、長島城城主は豊臣秀次に変わり、江戸期には菅沼氏,松平氏,増山氏の領するところとなり、明治5年(1872)に廃藩置県と共に廃城となる。

 一向一揆衆は長島城を中心として、以下の城砦14ヶ所を築き対抗したとされている。
大島城
中江城
小田御崎砦
大鳥居城 
香取砦  
屋長島城 
松ノ木砦
篠橋城  
一ノ江砦  
鯏浦砦  
蛯江砦  
加路戸砦
押付砦  
殿名砦  
長島町大島
桑名市福島
長島町西外面
多度町野代

多度町香取
桑名市汰上
長島町松ノ木
長島町小島
佐屋町市江
弥富町鯏浦
弥富町海老江
木曽岬町加路戸
長島町押付
長島町殿名


・一向一揆の詳細については、本願寺と一向一揆を参照下さい。

・シンポジウム 長島一向一揆と尾張
   講師:播磨良紀氏(四日市大学)
   於 2003年9月28日愛知県清洲町民センター

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