宮山城
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【城郭の概要】
所在地:久居市戸木町字敏太
別 名 :
築 城 :天文年間
初城主:小造具政
区 分 :山城 
遺 構 :空堀,土塁,枡形虎口
面 積 :70m×90m
     標高 45m
     比高 25m
     市指定史跡


土塁と空堀
曲輪周囲に巡らされた土塁と空堀

【現地への案内】
 国道165号線戸木神社前交差点を北へ500m敏太神社
【駐車場】近くの銀行駐車場に駐車
【訪 城】2003年2月
【撮 影】2003年2月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★★☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 敏太神社から5分足らずで宮山城の土塁が迎えてくれる。
一見、複雑な縄張りのようであるが、土塁と共に掘られている堀は、ほとんどが土塁の有効高さを高くするためのもので、土塁だけの縄張りを考えると比較的シンプルな縄張りが見えてくる。
 稲荷神社を祀っている主曲輪に横矢の掛かる折れを入れた曲輪を梯郭式に配し、北と南に虎口を設け、北の虎口前には一文字土塁を蔀土塁とし、南の虎口は3折れの枡形虎口を形成している非常に技巧的な縄張りである。
 この縄張りが天正12年のものであるとはっきり分かっており、当時の織豊系城郭の築城技術を考察する上で非常に貴重な遺構である。
 某資料には近江・賤ヶ岳の戦いの際に築かれた東野山砦の本丸付近の縄張りと類似していると書かれているが、東野山砦のものと類似点は見いだせない。
 また、城とされているが、その規模からも一時的に使用された陣城と表現する方が適切であろう。

【城郭の歴史】
 戦国の世に木造具政が敏太神社の裏山に築いた砦である。木造具政が伊勢の国司八代北畠具教の弟で養子として小造家に入ったがのち戸木に隠居をしたので戸木御所と呼ばれていた。
 天正12年(1584)織田上総介清生に郷敵にまわして戸木城で籠城するが宮山城は戸木城の北を守る要害の位置にあり敵の動勢を見渡す上から必要な城であった。木造方の柘植彦次郎田中道京海津河原太の諸氏はよく防ぎ戦い西の谷間は激戦となったという。しかし、織田勢の家所帯刀に押され遂に同年5月小造方はこの城を捨てて戸木城に引き上げた。その後この城は織田勢の本陣となり、同年秋停戦と共に廃止された。
現在、城址に稲荷神社が祀られているが、その周囲には土塁や空堀が残り、当時の面影を今に伝えている。
久居市教育委員会 現地案内板より

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