紀伊京城(みやこじょう)
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 城郭の概要
所在地:南牟婁郡紀宝町大里
別 名 : −
築 城 :天正16年(1588)
初城主:堀内安房守
区 分 :山城
遺 構 :曲輪,石積み,堀切
城 域 : −
     標高  −
     比高 約100mm


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ
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 駐車場
空地を利用
【訪 城】2007年10月
【撮 影】2007年10月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



主曲輪背後の堀切
主曲輪背後の堀切

 現地の状況
 山の南側、京城の案内板横から石段を東泉寺跡へ登ると5分足らずで墓地に出るが、墓地からは道が途切れている。
 墓地から藪漕ぎをして更に5分ほども登ると、石積みで土止めをした平虎口を経て帯曲輪に出る。更に自然地形を巧みに利用した2折れの枡形虎口から主曲輪(20m×30m)に至る。

 主曲輪の背後、北側尾根にも道があり、尾根を降りると岩を削った2条の堀切が配されている。切岸が垂直な上、高さが5〜6mほどもある薬研堀で圧巻。こちらの尾根道が搦手か。

 墓地の奥(主曲輪の東斜面)、および墓地の西側尾根の斜面にも曲輪があり、墓地自体も城郭の一部を形成していると考えられる。なお、墓地の西側尾根の曲輪斜面には、人の頭2つ分ほどの石を積み上げた土止めの石積みが見られる。


 城郭の歴史
 京城は新宮から北山に至る北山街道沿いにあって、天正16年(1588)豊臣秀吉の地検に反対した北山地方の住民が起こした北山一揆鎮圧するために新宮城主・堀内安房守が築城したとされる。

 堀内氏は熊野地方で勢力を拡大して、天正10年(1582)までには紀伊長島まで東進した。また元亀年間には那智社家の実報院とも関係を深め、西は那智まで勢力を浸透させたが、天正13年(1585)3月、羽柴秀吉の紀州征伐以後秀吉に臣従し、北山一揆の鎮圧にあたった。

 北山一揆は赤木城を拠点とした藤堂高虎、羽田正親らによって鎮圧され、一揆勢は田平子峠で斬首された。

 
土止めの石積み
土止めの石積み


2折れの虎口
2折れの虎口




観 光
丸山千枚田
 丸山地区には小さな何枚もの水田があり、千枚田と呼ばれ、絶好の撮影ポイント。写真趣味の人にははずせない。


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熊野古道
「熊野古道」とは、中世以来、紀伊半島の南に位置する熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)に詣でるための道で、熊野古道が通る一帯は、いまでも手つかずの自然が多くのこる


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