松ヶ島城
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【城郭の概要】
所在地:松阪市松ヶ島町城の腰
別 名 :天守山
築 城 :天正8年(1580)
初城主:織田信雄
区 分 :平城 
遺 構 :櫓台か
城 域 : −

県指定史跡
松ヶ島城
松ヶ島城跡の小高い丘
車
【現地への案内】
国道23号線松ヶ島信号を西入る、直進して突き当たり
詳細コチラ 

【駐車場】路上駐車するところもない(^^;
【訪 城】2004年1月
【撮 影】2004年1月

メモ
評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ☆☆
普請 ☆☆
体力消耗度 ☆☆
お勧め度 ☆☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 地元の人に位置を確認したが、道がない。(^^;
民家の庭を抜けてたどり着くが、北の八雲神社横の道から200mほど東へ入るとスンナリ行けた。(^^)
松ヶ島城はビニールハウスが並ぶ東側に高さ3〜4m、最大長30mほどの丘が残っているだけで、城址を想わせるものは何もない。
昔はこの松ヶ島城のすぐ近くまで海岸線が来ていたと云うが、現在では埋め立てられ海岸線は500〜1km後退して、埋め立てられた所は畑地として利用されている。
 地元の人の話では、昔この辺りを掘ると金箔瓦が出たが、持ち帰ると家が育たないとの謂われがあり、また埋め戻したとか。現在でも掘れば80個ぐらいは金箔瓦が出るとのことである。(^^)

【城郭の歴史】
 松ヶ島はかって保曽久美(細汲、細首とも書く)といい、参宮古道に沿い、三渡川の河口を控えた海陸交通の要衝の地であった。
天正8年(1580)織田信雄(信長の二男)は南伊勢統治の居城を田丸城(度会郡玉城町)からこの地に移し、松ヶ島城と称し、五層の天守閣がそびえていたという。その後、信雄の家臣津川義冬、滝川雄利を経て、同12年豊臣秀吉の武将蒲生氏郷が12万石の大名として入城した。

 その後、氏郷は四五百森に着目して築城し、新城下の松坂城に移り、本城下の町人や社寺は全て強制移住させられて、松ヶ島は瞬時にしてもとの漁村に変容した。
古図や検地帳には天主跡・堀之内・丸之内・城の内・南之内・日の丸といった城郭名や殿町・本町・西町・紙屋町・ほうく町・鍛冶町という町名が見え、往時の繁栄を偲ばせる。
ここに残る指定地は俗に天守山と呼ばれ、付近から金箔をおした古瓦片等が出土しており、本丸天守の跡と考えられる。
松坂市教育委員会

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