亀山古城
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【城郭の概要】
所在地:亀山市若宮町
別 名 :丹稜城
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平山城 
遺 構 :土塁,竪堀,虎口
面 積 : −



北公園入口にある虎口

【現地への案内】
 国道1号線羽若町信号南入る、亀山神社北
【駐車場】亀山神社駐車場に5〜6台
【訪 城】2003年2月
【撮 影】2003年2月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ☆☆
縄張り ☆☆
普請 ☆☆
体力消耗度 ☆☆
お勧め度 ★★
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)

【現地の状況】
 現在私たちが知る亀山城は天正18年に築城されたもので、羽柴秀吉が信長死後、柴田勝家と覇権を争う中で、天正11年2月に伊勢・滝川一益に属する亀山城を攻めたときのものではない。現在の亀山城と区別するため、亀山古城と呼ばれている。
亀山古城遠景

 亀山古城は亀山城の一画にある亀山神社前の公園の北、浸食谷を隔てた若山という丘陵地にあったとされているが、現在では若山は住宅地と亀山公園となっいる。
亀山古城の跡を示す石碑,案内板は亀山神社から北東、直線距離にして500〜600mの住宅地に中に建つが、石碑背後の丘には遺構を観ることは出来ない。
案内板にも、亀山古城の城域は特定されていないと記されているが、亀山公園の東の北公園(戦没者慰霊碑のある高台)には土塁,土塁の虎口、および北側斜面の藪の中に曲輪と1条堅堀が残ることから、北公園一帯が亀山古城ではなかったか。

【城郭の歴史】
 北条氏被官であった関実忠は文永元年(1264)久義から亀山に移り、若山の地に築城したとされる。これが亀山城で、近世の亀山城と区別するために亀山古城と呼んでいる。また、若山が「赤山」の訛りと考えられたことから、後に丹陵城と称したという。
 以後、関氏累代の居城であったが、元気4年(1573)織田信長により関盛信が追放され、亀山城は神部信孝に与えられた。天正11年(1583)閏正月に羽柴秀吉の攻城に際し、城将の佐治新介はよく防戦したものの加藤清正・山内一豊。細川忠興らの猛攻によりついに落城し、関盛信の子一政が城主となった。その後、関一政が陸奥白河に移され、岡本宗憲が新たに城を築くにあたり廃城となったとされる。
 現在の若山において、明確に亀山古城跡とみられる遺構は見いだせないが、近年の発掘調査において亀山城二・三之丸の下層から戦国期とみられる大規模な空堀跡が検出されており、亀山古城の位置については検討を要する。ただ、近世全般を通じては若山のこの地を「古城」と認識していた。なお「九々五集」によれば、関氏歴代のいずれかの代の時に現在の亀山城の位置に替え地して築城したという。
亀山市教育委員会 (現地案内板より)

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