保々西城
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【城郭の概要】
所在地:三重県四日市市西村町保々
別 名 :朝倉城,保々西村城
築 城 : −
初城主:朝倉氏
区 分 :平山城 
遺 構 :土塁,空堀,枡形虎口
面 積 :250m×310m

     標高 60m
     比高 20m







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主曲輪周囲に巡らされた空堀

【現地への案内】
 県道14号線(菰野東員線)を北上、保々小学校手前を左折、朝明川・横手橋を渡り、観音寺の西500m
【駐車場】農道に駐車、2〜3台可
【訪 城】2002年12月
【撮 影】2002年12月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★ 河岸段丘
縄張り ★★☆ 枡形虎口、畝状土塁
普請 ★★☆ 堀深し
体力消耗度 ☆☆
お勧め度 ★★
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)









【現地の状況】
 北から延びる台地が朝明川の河岸段丘となって落ち込む台地の先端に築城されており、西から南にかけて切り立った崖状斜面を背後においた要害の地形である。
 田圃の中の農道に車を止めて、5分も上ると、でっかい空堀が目の前に出現する。
要害地形を利用しているため、変形単郭の城であるが、東から北にかけての前面には深さ7〜8mの空堀を配している。また、空堀の前面はなだらかな斜面には家臣団の屋敷を構え、平面的な防御思想が伺える。
 空堀の東側には5本の土塁を空堀と直行する形で配置しており、この土塁は "畝状土塁" とも呼べるもので、空堀周辺における敵の行動を制限するためのもので非常に珍しい。
 虎口は二つあり、東川の虎口は3〜4m幅で長さ15mの土橋を経て、2折れの見事な内枡形虎口としている。堀にかけられた土橋と枡形虎口、まさに近世城郭そのものの造りといって良い。一方、北側の虎口は同じく土橋を介しているが平虎口で、東側の枡形と比較すると違和感を覚えた。
要害地形に築城されているが、前面防御に甘さを残している。
 南には八風街道が通り、桑名,長島方面への押さえとして築かれたことは容易に想像できる。

【感想】
 この保々西城のようにあまり知られることのない城で、かくも見事な遺構に出会えるのが中世山城巡りの醍醐味である。
 枡形虎口や畝状土塁は技巧的で、天正11年羽柴秀吉の伊勢侵攻に備えて滝川軍によって改修されたものではないかと感じた。
同年代に築城された滋賀県と福井県の県境にある玄蕃尾城(国指定史跡)と比べても勝るとも劣らない遺構であり、指定史跡としてシッカリと遺構を保存して欲しいものである。

【城郭の歴史】
 保々西城(朝倉城)は永禄11年(1568)織田信長の北伊勢進攻の際、滝川一益の攻撃を受け、茂福城,中野城と共に落城した。

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