五ヶ所城
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【城郭の概要】
所在地:度会郡南勢町五ヶ所浦字城山
別 名 :愛州城
築 城 :康永年間(1342〜45)
初城主:愛州氏
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,空堀
城 域 :210m×120m

堀
本丸周囲の堀
車
【現地への案内】
国道260号線堀江橋信号を北入る600m
詳細コチラ 


【駐車場
南勢町役場駐車場を利用
【訪 城】2003年1月
【撮 影】2003年1月

メモ
評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★
縄張り ★★☆ 
普請 ☆☆
体力消耗度
お勧め度 ★★
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 五ヶ所湾に流れ込む五ヶ所川が海岸線から500〜600mの地点で台地城地形を迂回する形で大きく蛇行する、その台地の先端部に五ヶ所城は築城されている。
 こうした要害地形に城を築くのは一つのパターンであるが、そんなセオリー通り選地されている。
 台地の先端部に南北30m、東西25m程度の主曲輪西側と北側は深い谷に守られ、南側と東側の緩斜面に対しては、二重の空堀を配されている。この空堀の堀幅は底部で3〜4m、深さ3〜4mほどであるが、連続して掘られているため現在でも防御施設として十分通用するものである。
空堀を経て南側は曲輪跡であろうが、現在は公園となっている。また、東側は竹藪の中に階段状の削平地が認められるが、当時のものか定かではない。

【城郭の歴史】
 愛州氏の居城であるが、愛州氏についてははっきりされていない。康永元年に足利勢に伊勢守護となった考えられる二木義長も加わり、北畠氏の本城である田丸城が攻め落とされ、同2年、五ヶ所城も攻められたようである。

 愛州氏は元亀元年間(1570〜73)以降、天正4年(1576)頃までに南伊勢を押さえ、田丸城に入った北畠信雄(織田信雄)によって亡ばされてといわれている。五ヶ所城も愛州氏の滅亡と共に廃城となった。

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