紀伊赤木城
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 城郭の概要
所在地:熊野市紀和町赤木
別 名 : −
築 城 :天正17年(1589)
初城主:藤堂高虎か?
区 分 :平山城
遺 構 :曲輪,石垣,堀切,堅堀
城 域 : −
     標高  −
     比高 約30mm


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ
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 駐車場
専用駐車場を利用
【訪 城】2007年10月
【撮 影】2007年10月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★★
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


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お勧め度



主曲輪の外枡形虎口
主曲輪の外枡形虎口

 現地の状況
 赤木城は熊野市から国道311号線を西へ約20kmの赤木地区にあり、西は大峰山系、東は鵜山、玉置山の山間部を流れる北山川沿いに位置している。

 丘陵地の先端に築かれた赤木城の比高差は30〜40m、車でほぼ主曲輪下まで乗りつけることができ、駐車場から見上げると織豊系城郭の石垣が出迎えてくれる。
要所要所に石垣を積んだ赤木城は、主曲輪を中心として南に延びる二つの支尾根に、小振りな曲輪をそれぞれ2つづつ配したコンパクトなつくりである。

 この赤木城、天正16年、熊野・北山地方で豊臣秀吉の検地に反対して「天正一揆」が起きたことで、翌17年に江戸城、名古屋城津城伊賀上野城、および篠山城などの縄張りを担当した築城の名手・藤堂高虎が築いた(改修した)とされる城で、こんな山間部にも藤堂高虎の出番があったのかと少々意外であった。

 というのも、この赤木城は新宮から風吹峠を越え、丸山、赤木を経て、上北山村から大和国の吉野に至る北山街道を押さえる位置にあり、当時の豊臣政権が熊野地方の木材をいかに必要としていたかを物語っているようである。

 赤木城は石垣づくりというだけでなく、幾つか藤堂高虎らしさを感じさせる。ひとつは主曲輪に至る枡形虎口で、外枡形と内枡形を連ね、当時の近世城郭そのものの虎口形態をしている点である。
 もうひとつは、主曲輪の北東と南西隅を張り出させ、横矢掛けの構造としており、これまた近世城郭並の工夫が施されている。
虎口構造、および横矢掛けの詳細は、縄張り研究〜虎口構造の発達を参照ください。

 この赤木城は比高差もない丘陵地に築かれている上、石垣づくりの城で、誰でも気軽に楽しめるお城でお薦めの1城である。

赤木城縄張り図
赤木城縄張り図

 城郭の歴史
 天正13年(1585)3月、羽柴秀吉は紀州攻めをおこない、紀北の雑賀一揆、粉河・根来寺、さらに紀南の諸勢力を平定した。
 熊野地方は豊臣政権の木材供給地として重要視され、天正17年に藤堂高虎、羽田正親らを山奉行として支配した。

 天正16年(1588)に北山一揆(太閤検地反対一揆とも熊野牢人衆一揆ともいわれる)が起こるが、藤堂高虎などの豊臣方によって鎮圧され、一揆勢は田平子峠で斬首された。


 なお、赤木城の築城は、和歌山藩が編纂した「紀伊風土記」によれば、天正年間に藤堂土佐守(後の藤堂和泉守高虎)と羽田長門守が北山代官の時に築いたとされる。
 また熊野市神山の倉谷家文書には、天正16年(1588)大和大納言(豊臣秀長)が北山攻めをした後に築城したとされている。

 藤堂高虎は天正13年(1585)の紀州攻めの際に北山入りをし、文禄4年(1595)に伊予三郡を与えられるまでの11年間、北山付近に居住し、2度の北山の陣で一揆方を鎮圧したり、北山材の切り出しを行っているので、この頃に現在の縄張りに整備したものと考えられている。(現地案内板の記載内容を一部編集)

 



虎口の発達
 城郭における虎口(出入口)は最も敵の攻撃にさらされやすいため、しっかりと防御する必要がある反面、出撃するときは素早く出られる構造であることが求められた。
 こうした相反する要求を満たすため、戦国期にはいろんな形状の虎口が考案された。

平虎口
 戦国期初期までの城郭に観られる未発達な虎口形状で、城内にまっすぐに入れる。
平虎口

1折れ虎口
 城内へは一度曲がらないと入れない形状で、外部から城内を見通せない、あるいは侵入してくる敵に対し、横から矢を射掛けるなど防御し易くなる。
1折れ虎口

2折れ虎口
 1折れ虎口よりも防御性が高まる。
 城郭研究ではこうした構造の虎口を「食い違い虎口」とも称されるが、広い意味で「枡形虎口」として取り扱われている。
2折れ虎口

外枡形虎口
 2折れ虎口に空間が加わったもので、空間が城内に取り込まれたものを「内枡形虎口」を称されている。

 こうした虎口形状をもつ城郭は中世城郭では甲斐の武田氏や関東の北条氏、および織田氏など一部の戦国大名の城でしか観られない。

外枡形虎口

枡形虎口+内枡形虎口
 枡形虎口を連続して組み合わせたもので、考え方としては虎口形状の最終段階のもので、こうした構造をもった城郭を近世城郭として取り扱われている。
枡形虎口+内枡形虎口

観 光
丸山千枚田
 丸山地区には小さな何枚もの水田があり、千枚田と呼ばれ、絶好の撮影ポイント。写真趣味の人にははずせない。
丸山千枚田

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熊野古道
「熊野古道」とは、中世以来、紀伊半島の南に位置する熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)に詣でるための道で、熊野古道が通る一帯は、いまでも手つかずの自然が多くのこる


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主曲輪の内枡形虎口
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本丸から見る東曲輪
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主曲輪の石垣
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東曲輪の全貌
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