淀古城
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 城郭の概要
所在地:京都市伏見区納所北城堀
別 名 :藤岡城
築 城 :室町時代中期
初城主:畠山政長
区 分 :平城
遺 構 : −
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用
京阪淀駅の北約500m

 詳細位置はコチラ
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 駐車場
妙教寺の駐車場を利用

【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地
縄張り
普請
体力消耗度
お勧め度
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


妙教寺の境内に建つ城址碑

 現地の状況
 京阪淀駅前の淀城から北に約500m、鳥羽街道沿いの淀川堤防下の納所地区一帯に築かれていたとされるが、現在では妙教寺の境内に「淀古城跡」の石碑が建つのみである。


 城郭の歴史
 淀古城は木津川,淀川,桂川の合流点付近にあり三方を川に囲まれた要害地形で水陸交通の要所として槇島城と共に洛南の2大軍事拠点として機能していた。
 永禄2年(1493)京畿をほぼ掌握した三好長慶は細川氏綱を淀城(淀古城)に配して、京の将軍足利義輝を牽制した。永禄6年細川氏綱が死去した後は三好義継,松永久秀方に属していたが、永禄9年勝竜寺城と共に三好三人衆によって奪回された。永禄11年織田信長の上洛と同時に織田軍によって攻められ落城。
 天正10年(1582)本能寺の変の後、明智光秀が改修したとされている。天正17年羽柴秀長が改修し、秀吉の側室である淀殿が入り、文禄元年(1592)には木村常陸介が居城としたが、同4年に廃城となった。
なお、淀古城の資材は伏見城の築城に利用されてといわれている。




淀殿関連の史跡
方広寺
京都市東山区大和大路通正面上る茶屋町

 天台宗山門派の寺で豊臣秀吉により建立された。
 寺の梵鐘に刻まれた「国家安康 君臣豊楽」の銘文(京都南禅寺の禅僧文英清韓の作)をもって、徳川家康は「家康」の文字を2つに切って徳川家を呪うもので「君臣豊楽」で豊臣家が再び君主になろうとするものだとして大阪の役の口実とした。
この鐘は重要文化財に指定されている。
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養源院
京都市東山区大和大路通七条下る三十三間堂廻り町

 文禄3年に淀殿が創建。寺の名前は淀殿の父・浅井長政の法名「養源院天英宗清」からつけられている。

 また、本堂正面と左右の廊下に張りめぐらされた天井は伏見城落城の際,鳥居元忠らが自刃した廊下の板を用いたものと伝え、「血天井」と呼ばれている。
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