田辺城(舞鶴城)
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 城郭の概要
所在地:舞鶴市北田辺
別 名 :舞鶴城
築 城 :天正13年(1585)
初城主:細川忠興
区 分 :平城
遺 構 :本丸天守台,本丸石垣,堀
城 域 :560m×900m

市指定史跡


 現地への案内
交通機関は車を利用
由良川の八雲橋東詰、東の山

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 駐車場
本丸天守台横の空地に駐車

【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

天守台石垣
天守台石垣

 現地の状況
 田辺城跡は現在、本丸跡と二の丸跡の一部が舞鶴公園として整備され市民の憩いの場所となっています。
 しかし、田辺城の遺構としてしっかりと残っているのは本丸天守台の石垣ぐらいでしょうか。模擬隅櫓の石垣、および本丸石垣は大半が稚拙な積み直しされており、見る影もありません。
 東側JR舞鶴線近くには、二の丸御殿の石垣と堀が残されていますが、ほんの一部分が残っているだけで、一般の人には堀とは判らないかもしれません。(^^:

 大手門は平成4年に田辺城資料館として建てられたもので、「絵」になる立派な門で舞鶴市の観光シンボルにはなりますが、天守台石垣に乗りそうもない、つまり天守閣よりも大きな門はいかがなものかと思いました。
 それよりも、現在残っている二の丸御殿の石垣や堀など田辺城の遺構をしっかりと保存管理して欲しいものです。

資料館
大手門として建てられた資料館


復興された模擬隅櫓


二の丸御殿の石垣と堀

 城郭の歴史
 天正8年(1580)織田信長の命により丹後国は細川藤孝(幽斎)・忠興父子の所領となり、宮津の八幡山に居城を築いたが、天正11年に藤孝の隠居城として田辺城の築城を開始。天正12〜13年頃に完成したとされる。

 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いにあたり東軍についた細川氏は、忠興が会津上杉征伐に向かい、藤孝は田辺城で留守を預かった。
 田辺城は西軍に攻められ、ついには後陽成天皇の勅命で開城した。この時の軍功により細川忠興は39万石に加増され、豊後国中津へ移封となった。

 その後、信濃国飯田から京極高知が12万3千石で入部。元和元年に高知が没すると遺領は三子に分割され、二男高三が加佐郡内3万5千石を得て田辺城を居城として、田辺藩が成立した。
寛文8年(1668)京都所司代を辞任した牧野親茂が入り、以後10代にわたって世襲し、明治2年(1869)大政奉還を迎えた。




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