周山城
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 城郭の概要
所在地:京都市右京区京北周山町
別 名 : −
築 城 :天正7年(1579)
初城主:明智光秀
区 分 :山城
遺 構 :天守台,石垣,堀切,井戸,土塁
城 域 :600m×200m
     標高 480m
     比高 220m


 現地への案内
交通機関は車を利用
周山中学の西、約1km

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 駐車場
空地を利用
【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★★
縄張り ★★☆
普請 ★★★
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

石垣
西尾根曲輪の石垣

 現地の状況
 周山城は弓削川沿いの周山街道を見下ろす通称城山と称される標高480mの山頂付近に築かれている。

 周山街道から約300mほど入った民家の間から山に入る。城山は急峻な山で、九十九折りの小道がつけられているが、この道とて斜度はきつく息が切れる。

 約50分ほどで二の丸の東虎口に出る、虎口を形成する石積みは崩れているが、階段を伴った方形の枡形で、規模は小さいがまさしく近世城郭の枡形虎口そのものである。
 二の丸は本丸から東に延びる尾根に築かれた方形の曲輪で、枡形虎口以外にも土塁を伴った平虎口(西虎口)が設けられ、周山街道を押さえる二の丸が重要視されていたことを窺わせる。
二の丸と虎口
二の丸と虎口

 二の丸からは比高差5〜6mの切岸を経て本丸に至る。本丸の南東隅には石積みを伴った土塁による天守台が据えられている。
 本丸から延びる西尾根と南尾根にも階段状に曲輪を配し、縄張り的には典型的な中世山城であるが、本丸、および西尾根に配された曲輪の斜面や土塁の法面には石垣が積まれている。
縄張り図
縄張り図

 周山城の中核部は石垣を伴った切岸防御を主体とする近世城郭の築城思想であるが、西尾根に築かれた4段の階段状曲輪の先は、自然地形に近い曲輪を経て2条の堀切を入れ、中世山城の姿も残している。

 周山城の築城されている山は非常に急峻で、山城としても楽しめる上、天正期における織豊系城郭の特徴を石垣や虎口に見ることができ、お薦めの1城である。
 多用されている石垣は至る所で崩れてはいるが、下手な積み直しなど人の手が入っておらず、今なお戦国期の臭いを漂わせている。

本丸天守台
本丸天守台

 城郭の歴史
 天正3年(1575)織田信長の命を受けた明智光秀は丹波攻めを開始。美山の川勝継氏、船井郡の小畠左馬介らは光秀に味方したが、下宇津に本城を構える宇津頼重は東丹波の波多野を頼み光秀に抵抗した。

 天正7年(1579)、光秀によって宇津城を落とされた宇津頼重は滅亡。宇津氏を滅ぼした光秀は、宇津城の東約3km、桂川と弓削川の合流点の西にあって、周山街道を扼する山(標高480m)に城を築き、東丹波の支配の拠点とした。





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