中山城
HOME京都府の城郭
 城郭の概要
所在地:舞鶴市中山
別 名 : −
築 城 :戦国時代
初城主:一色左京太夫
区 分 :平山城
遺 構 :空堀,堀切,土塁
城 域 :30m×300m
     標高 60m


 現地への案内
交通機関は車を利用
由良川の八雲橋東詰、東の山

mapfan
 駐車場
道路脇の空地に駐車
【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


三の曲輪南側の堀切

 現地の状況
 中山城は由良川の東岸、由良川を真下に見下ろすような位置にあり、比高は約50m、最大尾根幅30mほどの丘陵に築かれている。
 八雲橋の近くから神社までは階段がつけられており、5分足らずで尾根上の曲輪に至る。この間、神社の建てられている平地も地形上、当時の曲輪であることは疑うべくもない。

 中山城は尾根上に曲輪を連続して配置した構造をしているが、大きくは主要な3つの曲輪からなっており、社の背後の曲輪(三の曲輪)は幅15m、長さ35mで、南側は二重の堀切で処理し、更に南の尾根上に曲輪を配している。二重の堀切のうち、一つは比高差10mを計るほどの規模である。

 三の曲輪の北側は小曲輪を経て三重の堀切を介して、二の曲輪、一の曲輪へと続くが、各曲輪間には箱堀状の堀切を入れ、一の曲輪南側は比高差30mを越えような垂直の切岸で処理している。

 狭い尾根を利用した小規模な平山城であるが、各曲輪間には必ず堀切を入れる周到さとその規模は、天正期の織田信長配下による丹後攻めに対し、徹底抗戦した一色氏の決意のほどが窺える。


 城郭の歴史
 丹後の国主・一色左京太夫義道の居城とされる。後に沼田幸兵衛清延が城主となる。標高60m、城郭の幅約20m、延長500m、東側は越を没する深田、西側は険峻な急坂に堅堀、北側には大規模な空堀2ヶ所を設け、更に川を廻らす。
 本城にいた一色義道は織田信長の命により丹後攻めをおこなった細川,明智勢との戦いに敗れ、中山城で再起を図った。
天正7年(1579)9月20日細川,明智勢2千4百余騎をもって攻め立てたが落ちることはなかった。
城代沼田幸兵衛の変心によって城に火をかけ総崩れとなり、義道主従38騎は、この由良川畔で自刃したと伝える。

現地案内板より




周山街道関連





明智光秀関連史跡
周山城

亀山城

勝竜寺城

坂本城


HOME京都府の城郭

近江の城郭