妙顕寺城
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 城郭の概要
所在地:京都市中京区押小路通小川西入
別 名 : −
築 城 :寛文10年(1670)
初城主:豊臣秀吉
区 分 :平城
遺 構 : −
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ
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 駐車場
路上駐車
【訪 城】2007年4月
【撮 影】2007年4月

評価項目 見所評価
選地 ☆☆
縄張り
普請
体力消耗度
お勧め度
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


妙顕寺城跡地に建つ西福寺

 現地の状況
 妙顕寺城は、二条城の東約500m、西福寺の建てられている付近一帯とされる。
現在では遺構は何も残されおらず、西福寺の山門横に妙顕寺城の石碑が建てられているだけである。


 城郭の歴史
 この付近は豊臣秀吉の妙顕寺城の故知である。妙顕寺とは鎌倉後期、日像がはじめて京都の建立した日蓮宗寺院であり、たびたび場所は変わったが戦国時代にはこの地にあった。
 天正2年(1583)9月豊臣秀吉は寺を小川寺内に移転させて、跡に二条新邸を構築し、天正14年聚楽第をつくるまで京都の政庁とした。

 建物の姿は詳しくは判らないが、周囲に堀をめぐらし、天主をあげていたという。従って屋敷と云うよりは城と呼ぶにふさわしいと云えよう。平素は前田以玄が住居して京都の政務にあたり、秀吉が上洛すると、ここが宿舎となった。豊臣秀吉が次第に天下を握ってゆく中の重要な政治的拠点であった。現在、城跡は偲ぶべくもないが、古城町という町名となってよすがを伝えている。
京都市 現地案内板より

 



豊臣秀吉関連の史跡
方広寺
京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2
 天台宗山門派の寺で豊臣秀吉により建立された。慶長19年(1614)、家康が梵鐘の銘文「国家安康 君臣豊楽」は家康を呪い殺すためのものだと、言いがかりをつけたことで知られている。
「国家安康 君臣豊楽」の文字は、今でもしっかりと確認することができる。

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耳塚
東山区大和大路七条上ル
 文禄・慶長の役の際、戦功のしるしである首級の替わりに鮮・明兵の耳や鼻を持ち帰ったもので、秀吉の命によりこの地に埋められ、それらを弔った墓。
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