宮津城
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 城郭の概要
所在地:宮津市鶴賀
別 名 : −
築 城 :天正8年(1580)
初城主:細川忠興
区 分 :平城
遺 構 :石垣,移築門
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用
宮津市役所

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 駐車場
市役所の駐車場を利用
【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

くろがね門の袖石垣
本丸入口くろがね門の袖石垣の一部

 現地の状況
 宮津城は宮津の町の中心部、宮津市役所の西、大手川の河口付近の右岸一帯に築かれていたとされ、現在では大手川の右岸に三の丸石垣と、本丸付近の武田病院前に本丸くろがね門の石垣の一部が残されている。
また、宮津小学校の裏門に太鼓門が移築されている。

 武田病院前の案内板には、南約10mに本丸石垣が露出しているとのことであったが、市街化に伴い消失したのか、サッパリ分からなかった。

三の丸石垣
三の丸の石垣


太鼓門
宮津小学校の裏門に移築された太鼓門

 城郭の歴史

 天正8年8月、丹後に入国した細川藤孝,忠興父子は八幡山城に入り、宮津城の普請にかかった。「宮津日記」には寛永2年(1625)には大略完成、同13年に残らず完成としている。

 天守を設けず8ヶ所に櫓を置き、西に外堀に仕立てた川に大手橋を架け、東の外堀にかかる橋に至るまで6つの門を設けたとされる。
京極,永井,阿部,奥平,青山の各大名が入った後明治初年にはほとんど破壊されてしまったといわれる。




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