笠置山城(笠置城)
HOME京都府の城郭
 城郭の概要
所在地:相楽郡笠置町笠置山
別 名 :笠置城
築 城 :元徳3年(1331)
初城主:後醍醐天皇
区 分 :山城
遺 構 :行在所,曲輪
     標高 290m
国指定史跡


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ
mapfan
 駐車場
有料駐車場を利用

【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

後醍醐天皇の行在所
後醍醐天皇の行在所

 現地の状況
 笠置山と云えば、太平記で後醍醐天皇が籠もられて北朝方の幕府軍と戦ったことで有名であるが、登ってみるまではどんな所か具体的なイメージが無かった。

 麓から車で上ること約10分、更に駐車場から後醍醐天皇の行在所まで約10分。ここまで登ってきて初めて太平記の記述と笠置山のイメージが合致した。

 笠置山自体に防御施設はほとんど無く、峻険な山に頼っているのは、他の南北朝期の山城と共通している。
 本丸の北側には二の丸と称される平坦地があり、後醍醐天皇の行在所と共に笠置山城の中核をなしている。

 平坦地の少ない山中にあって、幾つかの坊跡が笠置山城を形成しており、笠置山城とは笠置寺のことをさして云う。
なお、笠置寺という寺はなく、49ヶ寺の寺の総称を笠置寺と呼ばれている。

笠置山からの眺望
笠置山から西方の眺望

 城郭の歴史
 元徳3年(1331)8月、後醍醐天皇は鎌倉幕府討伐の計画が発覚したため、同月24日密かに皇居から奈良東大寺に逃れ、26日には鷲峰山(じゅぶせん)の金胎寺へ、さらに29日には笠置寺に入られた。

 9月には笠置山に籠もった南朝方2千5百に対し、鎌倉幕府方(北朝方)が全国から集めた7万余の大軍をもって笠置山に攻め寄せ、元弘の変の戦いが繰り広げられた。
 9月29日幕府方は決死の50余名を選び激しい風雨と闇夜に乗じて城の背後から城内に潜入させ、坊堂,坊舎,鐘楼など山内49ヶ寺に火を放ち、ことごとく焼き払った。
 この不意打ちによって後醍醐天皇方(南朝方)は総崩れとなり、1ヶ月近くの籠城戦に耐えた笠置城も落城するに至った。

 後醍醐天皇は笠置城を脱出し、和束谷を経て綴喜郡井手の有王山まで逃れられたが、捕らえられて六波羅に送られ、正慶元年(1332年)に出雲国の隠岐島に流された。




お薦めの書籍

お勧め度







お勧め度





HOME京都府の城郭

近江の城郭