丹波 亀山城
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 城郭の概要
所在地:亀岡市荒塚町
別 名 :亀宝城,霞城
築 城 :天象5〜7年(1577〜1579)
初城主:明智光秀
区 分 :平城
遺 構 :本丸石垣,内堀
城 域 :


 現地への案内
交通機関は車を利用
JR山陰線 亀岡駅の南約300m、大本教敷地内

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 駐車場
駐車場はなし
【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

本丸天守台の石垣
本丸天守台の石垣

 現地の状況
 亀山城はJR山陰線亀岡駅の南約300mにあり、南郷池と称される元亀山城の内堀、および本丸と二の丸部分が残されているが、本丸と二の丸は大正8年に大本教団が買い取り大本教の亀岡本部が置かれており、見学に際しては大本教団への申し込みが必要である。

 大本教の受付で受けた説明では、当時の石垣が残っているのは本丸天守台の石垣だけで、その他の石垣は積み直しがされているとのことであったが、現地に行ってみると天守台の石垣も積み直しされていた。

 積み直しされた部分の石垣は積み方が稚拙であったり、小石で積まれているため、よく見ればすぐに判る。
もう少し何とかならなかったのかと思う反面、ここまで積み直しをして一応見られる姿に戻した大本教団に感謝すべきか。(^^:

内堀
内堀

本丸石垣
本丸石垣

 城郭の歴史
 天正3年(1575)明智光秀は織田信長の命を受け、岐阜城を出発し坂本城に入り丹波攻めを開始する。
 天正4年2月、光秀は丹波桑田郡に入って亀山を押さえた後は、天正7年に波多野秀治,秀尚の八上城を抜き、「丹波の赤鬼」として知られた赤井直正の黒井城を落とすまで、足かけ5年にわたって行われた。

 亀山城は丹波攻めを行った明智光秀が天正5年〜7年(1577〜1579)にわたって亀山砦を拡張し、築城したものである。
 その後、羽柴秀勝,小早川秀秋が入部し、慶長14年(1609)に岡部内膳正長盛が入封して亀山藩が成立した。
その後は、明治維新までの約120年間、松平,菅沼などの譜代大名が置かれた。
 明治維新を迎えた亀山城は明治10年(1877)に天守閣が解体され、鉄道施設のために本丸の石垣を残して石垣の石も多くは運び去られた。
 その後、城跡は大本教団の管理するところとなったが、大正10年、および昭和10年の2回にわたる大本教の弾圧によって城跡も破壊も甚大なものがあったが、最高所の天守台付近の石塁は復元されている。




明智光秀関連史跡
亀山城の移築門
亀山城の移築門
 亀山城の新御殿門が亀岡市千代川小学校の校門として移築されている。
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光秀の首塚
光秀の首塚
 天正10年(1582年)羽柴秀吉との戦いで天王山で敗れ、坂本城に向かう途中山科小栗栖で落命した明智光秀を供養するため亀岡市の谷性寺境内に、光秀の首塚がある。
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