津幡城(つばたじょう)
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 城郭の概要
所在地:河北郡津幡町清水
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平山城
遺 構 :曲輪
城 域 : −
町指定史跡

 現地への案内
交通機関は車を利用
JR七尾線本津幡駅の南約300m、津幡小学校
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 津幡小学校内の空地を利用
【訪 城】2007年3月
【撮 影】2007年3月

評価項目 見所評価
選地 ☆☆
縄張り
普請
体力消耗度
お勧め度
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

津幡城曲輪
津幡小学校前庭の曲輪跡

 現地の状況
 
 津幡城は現在の津幡小学校の建てられている一帯であったとされ、

 津幡城は、七尾街道(国道159号線)と北陸道(現国道8号線)が交わる要衝の地・津幡町にあって、 両街道を見下ろす小高い丘に築城されており、南を流れる津幡川を堀に見立てた要害地形でもある。
 こうした要衝の地にあったことから、古くは源平合戦の倶利伽羅の戦い、上杉謙信による七尾城の攻略、あるいは末森城の戦いと北陸における大きな戦いにおいて重要な役割を果たしてきた。
 津幡城の跡地には現在津幡小学校の建てられており、小学校の校門を入った左手に高台があり、ここに津幡城の石碑が建てられている。この高台は西を通る七尾街道を見下ろすことができ、物見台といった位置づけではなかったか。
 また、津幡小学校の前庭には、定家流の書で知られる冷泉家15代・為広塚がある。これは隣接する清水八幡宮の広塚にあったものを移転したものである。

冷泉家15代・為広の塚
冷泉家15代・為広の塚

 城郭の歴史
 寿永2年(1183)の源平合戦の折、倶利伽藍の一戦を前に平維盛の平家軍が津幡に布陣し街道を見下ろすこの地に砦を設けたといわれる。
 天正4年(1576)上杉謙信が越中より侵入し津幡に布陣し、七尾城を平定する足がかりとしたと伝えられている。
 天正11年(1583)前田利家の支配するところとなり越中に対する備えとして城を築き、弟の前田秀継に守らせた。
翌12年、佐々成政の末森城攻めの際に、利家は秀継と共に末森城救済の軍議をここで開いている。
 その後、利家が加賀,能登,越中三国を支配するようになると、この城は必要性を失い廃城となった。
津幡町教育委員会




観 光
倶利伽羅古戦場
河北郡津幡町倶利伽羅リ2
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 寿永2年(1183年)の源氏と平家が興亡の明暗を分けた倶利伽羅合戦(砺波山合戦)の舞台となったところで、木曽義仲が平家を相手に「火牛の計」で勝利した地。
 峠からは立山連峰を望め眺望は抜群。


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