七尾城
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 城郭の概要
所在地:七尾市古城町
別 名 :松尾城
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :曲輪,堀切,石垣,土塁
城 域 :2500m×1500m
     標高 300m
     比高 約250m
国指定史跡

 現地への案内
交通機関は車を利用
 国道159号城山登山口の交差点を七尾城方面へ入る、
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 
【訪 城】2000年7月
【撮 影】2000年7月

評価項目 見所評価
選地 ★★★
縄張り ★★★
普請 ★★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

石垣
多段に積まれた石垣

 現地の状況
 七尾城の中核部まで車で上ることができ山腹の駐車場から10分足らずで本丸に着く。この間、スイッチバック方式で3〜4mの石垣を多段に積んだ曲輪や堀切などスケールの大きな山城を堪能することができる。また、他の中世城郭とは違い、静寂の中にも華やかな雰囲気がなんとも堪らない。
 主曲輪は広大で、北方には七尾湾が広がり、天気の良い日の眺望は最高である。
 天正5年七尾城を落とした上杉謙信は9月26日に七尾城本丸に登り、月見の宴を催し、「霜は軍営に満ちて秋気清し 数行の過雁(かがん) 月三更(さんこう) 越山併せ得たり能州の景 遮莫(さもあらば)家郷の遠征を憶ふ」と詠んだ七言絶句は、さもあらんと納得する。
 ちなみに、この七言絶句は、謙信の作であると断定はされていないそうである。


主曲輪
主曲輪から見る七尾湾

 城郭の歴史
 七尾城は畠山氏の居城で、石動山系の北端部、標高300mの山地に築かれた山城で、松の尾,梅の尾,竹の尾,菊の尾,虎の尾,亀の尾,龍の尾の7つの尾根からなっていることから七尾と呼ばれたといわれている。
 七尾城の城域は、本丸を中心とした山頂付近一帯から山麓にかけての広い範囲で遺構が確認され、城域の長径は少なくとも2.5kmに及ぶとされている。
 築城時期は定かではないが、文明・応仁の乱(1467)が起こった3代目義統の代に本格的な築城が開始され、広大な城域を含めた城の完成を見たのが、7代目義総の時代ではないかと考えられている。
 天文16年に畠山駿河父子の反乱があり、天文19年に重臣・遊佐続光(つぐみつ)と駿河父子を破った温井総貞との間で争いが起こり、畠山7人衆が台頭し、永禄9年(1566)には9代目の畠山義綱が七尾城を追われることになる。
 天正元年(1573)武田信玄が死んだ後、越後の上杉謙信が越中に軍を派兵し、たちまち越中を制圧すると加賀に侵攻。
 畠山氏は七尾城に立て籠もるが、天正5年9月15日、重臣・遊佐続光の裏切りもあって謙信によって落城。落城後は鰺坂長実が城代として入城するが、一向一揆勢を破った織田軍によって天正9年には攻められ落城する。七尾城には前田利家が入城するが、利家は小丸山城に本城を移し、七尾城は廃城となった。

七尾城縄張り
七尾城の縄張り




観 光
七尾城史資料館
七尾市古屋敷町タ8-1
TEL:0767-53-4215
休館日:月曜日(祝休日除く)、祝休日の翌日(土日除く)
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加賀藩十村役喜多家
羽咋郡宝達志水町北川尻ラ-4
TEL:0768-32-0171
大人 500円
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 1万3千坪の敷地には、桟瓦葺切り妻屋根で木造平屋建ての主屋、茅葺き入母屋造りの表門、道具倉、酒倉、米倉、喜多家所蔵の名品を展示した喜多倉などがあり、100以上の村を治める十村役筆頭を務めた当時の権力がうかがえる。

本家上時国家
輪島市町野町南時国13-4
TEL:0768-32-0171
大人 420円
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 時国家は「平家にあらずんば人にあらず」の言葉を残した平家の重臣・平時忠の末裔です。文化5年(1808)から28年かけて完成した豪壮な建物は、萱葺き屋根の高さが18m、家屋を支える梁は周囲2mの松を使用した豪壮な造りで、国の重要文化財に指定されている。


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