小松城
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 城郭の概要
所在地:小松市丸の内町
別 名 : −
築 城 :天正年間(1573〜1592)
初城主:若林長門
区 分 :平城
遺 構 :曲輪,本丸櫓台石垣,堀石垣
市指定史跡

 現地への案内
交通機関は車を利用
国道20号線小松市内で京町の信号を北に入り、小松高校へ
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 JAの駐車場を利用、約10台駐車可
【訪 城】2007年3月
【撮 影】2007年3月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り
普請
体力消耗度
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

小松城天守台
小松城の天守台

 現地の状況
 小松城は平城ではあるが、前川と梯川(かけはしがわ)の合流点付近にあって、梯川の蛇行によってつくられた沼地を利用した平城で、当時は梯川の水を堀に引き入れ、堀の中に8つの曲輪が島のように配置されていたという。
 城の面積は金沢城の倍近い約56万m2におよぶ広大なもので、城域の約30割を堀が占め、その様は「小松の浮城」とも呼ばれた類い希な景観をしていたとされる。
しかし、現在では小松城の名残をとどめるのは小松高校の西端に天守台石垣と堀石垣の一部だけという有様で、当時を偲ぶことは不可能に近い。

 城門であった常磐門が稚松小学校に、また二の丸鰻橋門が市内の来正寺に移築されて残っているのが救いといえば言えなくもない。なお、小松高校の南にある芦城公園は小松城三の丸跡である。


小松城縄張り
寛永7年(1640)当時の縄張り

 城郭の歴史
 創築は加賀一向一揆勢が越前の朝倉氏との戦いに備えて築いたのが始まりとされる。
 永禄7年(1564)9月朝倉勢の攻撃により落城。天正4年(1576)一揆大将若林長門守が修築。翌5年の湊川(手取川)合戦後には織田方の佐久間盛政が小松城の南方御幸塚城によって対峙した。同8年金沢御堂陥落後、織田方武将・村上義明の居城となった。

 慶長3年(1597)堀秀政の越後春日山への移封により村上義明もこれに従い、加賀松任城主・丹羽長重(長秀の子)が居城を小松城に移した。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍の丹羽長重は東軍の前田利長と戦い、戦後丹羽長重は所領を没収され、小松城には前田長種,直知父子を城代としたが、元和一国一城令で一時廃城となった。
 寛永16年(1629)3代目前田利常は隠居し、小松城に入城し、有事に備えて改修をおこない、梯川を堀として利用した惣構の城として完成をみた。

小松高校に一部残る本丸堀石垣




観光
小松城城門・常磐門
 小松城の城門である常磐門が稚松小学校に移築されている。
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小松城二の丸鰻橋門
 市内の来正寺に小松城・二の丸鰻橋門(長屋門)が移築されている。
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浅井畷古戦場
小松市大領町つ137・138番地
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 1600年(慶長5年)関ヶ原の合戦の前哨戦として、金沢城主前田利長(東軍方)と小松城主丹羽長重(西軍方)が戦った。この勝利によって前田家は加越能3ヵ国の領有を確実にした。

安宅の関跡
 小松市安宅町
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 文治3年(1187)、兄源頼朝の目をのがれて、山伏に姿をかえた義経と弁慶の一行が、ここで関守富樫左衛門尉に見とがめられたという物語は、広く知られており、義経・弁慶・富樫の銅像が建てられている


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お勧め度





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